生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の備忘録

時間あるのかないのかわからんな

 もしかしたら±0で予定通りなのかもしれないけど。

 

 サークルもバイトも就活もないからって調子乗って遊びすぎた感あるなと思い始めました。きっかけは同じく半年休学した人の生存(と現況)を把握してしまったせい。でもどうせ覚えられないのに勉強したくない~~~~。

と思いつつ2週間分を1週間で終わらせたら、時間があるのかないのか分からなくなってきました。±0なのかしら。

 

 今までは、周りに自分と同じ状況の人がいなかった(正確にはいたけど比べようがなかった)ので焦りもありませんでしたが、認識してしまった以上はなかったことにできません。畜生、やるしかないのか……。

 

 とりあえずはこの日記の更新頻度落ちるかもしれない。

というか義務じゃないんだから落としてもいいぞ自分。元々読んでる人なんていなかったんだし。

自称することの底の浅さ、危うさ

 自称クズ、痛い!(自戒込み)

 

 高校の時に仲良かった人らは「クズ勢」と自称し、周りからもそういう括りで呼ばれていました。私もその響きに若干の憧れを抱きつつ連んでいたような気がします。

 冷静に考えたらクッソ痛かったのでそのグループからはもう離れましたが。久々にそのグループの人と話したら、いつの間にかクズに憧れを抱いた先輩とかも参入しててめっちゃ笑った。いやー痛い。

 

 「自称クズ」に限らず、何らかの個性を自称してしまうのは“浅い”な、と思ってしまいます。

個々の性格なんて一言で言い表せない程の多様性・多面性があるにも関わらず、(本人が備えているか否かは別として)ある一面を切り取って強調するのは自分の自我(アイデンティティー)に自信が持てていないからなのかなぁ、と。わざわざキャラ付けしないと、“『それ』である”ことを演じ続けていないと、自分を見失ってしまうと思っているからなのかなぁ、と。なんてディストピア

 アイデンティティーは20歳前後で形成されるものだ、とは言いますが、形成されても一言で表せるような個性に収束するものではない、と考えています。

というか、そうでないと依存していた「ある一面」が崩壊すると容易に自分を見失ってしまいそうな気がしてしまうので。私の専攻的に表現すると“担保”みたいなものです。ギャンブルでもあるまいし、投資をするにも一点張りなんてしない筈。リスクを分散しておくに越したことはない、という感じですかね。

自称するのは勝手ですが、言霊・相互認識ということもありますし、ひとつのキャラしか自称していないと、自分の脳もそれにつられてその自称した部分しか認識しない気もしてしまいます。それでも敢えて自称するとするならば「これのみが“自分”ではない」ことを意識しながら自称する必要があると思います。

 

 自我論に至ったのは絶対昨日のトークショーに引っ張られてるからだ…。影響されやすいにも程がありますね。

ファイナルカット爆音上映行ってきましたよ

 というかトークショーを聴きにいった感。きゃいきゃいしてきた。

 

 ファイナルカットの10年振り劇場上映かつ初の爆音上映でした。楽しかった~~~

 
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SFマガジン号外貰ったので帰ったら読みます。わくわく。

 

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 うろぶちさんうぶかたさん(二人とも一発変換で出てこない…)と、司会の編集長のトークショーが最初に1時間くらい?あって、その後ブレランの上映でした。丸の内ピカデリー来たのははじめてかもしれない。

チケットを取る時にA~D列が一瞬で埋まってしまって、かろうじてE列が取れた感じだったので(前から5列目か~、まぁ健闘した方かな)と思ったらなんと、A~D列はメディア列(カメラマンさんが動くためのスペース)でした!という訳でE列が最前だったのでめっちゃテンション上がりました(°°)

 

 なのでトークショーでもお三方が近くて近くて…。最近イベント運良すぎる…。

 最初はうろぶちさんと編集長しか出てこなくて(どうしたんだろう)と思ったらうぶかたさんの到着が遅れるとのことでした。「うぶかたさん来たらからかってやろうぜw」的なノリの二人が愉快だった。編集長が「この中で1回もアンドロ羊(そう略すんだ、と思った)を観たことない人はどれくらいいらっしゃいますか?」と問いかけたので、張り切って手を挙げたら隣のおじさんに「えっ」って言われました。えっ。どうやら完全に初見だって人は私含めて3,4人しかいなかったようです。初見なのに最前居座ってすまんかった(楽しかったから反省はしてない)。

逆に全部観た人が結構いらしたようで、隣のおじさんも問われた時に手を挙げてて今度は私が「えっ」って言ってしまった。えっ。

うぶかたさんが到着した時の編集長「進捗どうですか?(要約)」うぶかたさん「駄目です」の掛け合い笑った。リアル進捗駄目ですを聞けるとは思わなかった。

サイコパスは割とディックに影響を受けてて~みたいな発言があってなるほど、と思いました。登壇者らの世代からすると警官の出るSF=ディックみたいなイメージがあったようです。

最近の(アニメSFの)トレンドは“自我”だよね、というところで出てきた話が割と興味深かったので、覚えている限り書いてみようと思います。

というかそもそも欧米的な“自我”と日本的な“自我”の考えが違うよね、と。

例えば、アイデンティティーの象徴たる「名前」ひとつとっても、日本は歴史を見ても名前を変えがちだ、と(年齢によっても変えてきたしペンネームとかもよく使ってきたし)。

一方欧米では既存の名前に足していく感じ。だから、日本的なアイデンティティーは平面的、並列的である、と。欧米的なアイデンティティーは積み重ねで、縦にどんどん重なっていく。だから一番下層にある、元々あった部分へかかる重さで元々あった部分(自我)が潰れてしまうんだ、と。聴いてて面白かった。

その後の上映後、良い映画を観た時の癖で拍手をしたら半身の麻痺もあって響かず、みんなもつられてくれなくてちょっと悲しかったです(隣のおじさんとおばさんが拍手してくれたのは嬉しかった)。一方終了アナウンス後に誰かが発した拍手が大きかったので、みんなはそっちにつられて拍手してました。うむむ。ちょい悔しい。

 

当分は読書会かな~~~。アンドロ羊はもちろん読んだけど、他のディック作品も読んでおいた方がいい気がしてきたので帰ったら買います。読みます。うう、また積ん読が増える…。

ブレランカフェだったわーい

 待ち合わせしてた相手が酒場の開始時間を間違えていたため、酒場がはじまるまでカフェでだらだらさせてもらいました。店員さんごめんなさい。

 

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 アンドロイドも読み終わったし晴れやかな気持ちで行くことができました。やっぱりマスターさん(をはじめとした店員さんたち)が優しい。すき。

 

 酒場の開店時間までカフェメニューを頼んでだらだらしてたんですけど、その時に店員さんが酒場の時に提供する予定だった折り紙と折り図をくださったので、ふたりでひたすら折ってました。どんな状況だ。


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ニワトリとユニコーンでした。これが(英語表記なのもあって)意外に難しく、ユニコーンに至っては「Cut off」などという指示まで飛び出し、ハサミもないので仕方なく手で千切ってました。それでも何とかなってしまったのが面白い。

 

pub虐殺器官の時は人でごった返していた印象でしたが、今回はあまり(というか私らともうひとりくらいしか)いませんでした。楽しいのになんでだ。

 


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内観はこんな感じで酒場の様相を呈していました。


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二人で頼んだ目玉とひ羊肉の炒め物とドリンクと、(相手が頼んだ)うどんヌードルと私の頼んだデッカ丼です。どれもコラボカフェ形態にしては良い部類に入る完成度でした。おいしかった。

相手はデッカードというカクテル(確かウォッカ、ウイスキージンジャーエール)を、私はクリームにしてくれ、と警官は言った(うろ覚え)というノンアルカクテル(ブルーハワイベースのソーダフロート)を頼みました。

デッカードを一口飲ませてもらったらちょっときつかったですね。少なくとも、これから仕事がある人間が飲むもんじゃない。

目玉はジャンクでチープな味で嫌いじゃなかったです。うどんヌードルはカップヌードルのチリトマトを豪華にした感じでおいしかった。デッカ丼はイカとエビの天丼(ソースはマヨネーズ)で、別verでカレー味もあるそうです(マスターさんに聞いたらその上にカレーがかかるの、と教えてくれた)。

 

 写真は撮り忘れましたが、頼んだメニュー数(種類?)に応じてスタンプを押してくださるそうで、スタンプカードをもらってしまいました。また行くかもしれないです(ポイントカード商法にまんまと引っかかる消費者の図)。

 

 帰りに本社の玄関前を通ったら玄関がノーベル賞フィーバーしてて、笑いながらふたりで写真撮ってました。ウハウハですね。



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出来心から吐いた嘘はデマになりうる、という話

 TwitterみたいなSNSを創作物の中で描写しているところです。Twitterではない。

 

 記憶が正しければ、以前記事で「嘘松」について書いたような気がしますが、それにちょっと関連して。

 

 最近特に、TwitterをはじめとしたSNS上で流れてくる情報の信憑性を疑うようになりました。何の裏付けもなく、バズりたいがために流される信憑性の薄い情報(いわゆる嘘松)とかのせいです。

 

カズオイシグロさんが番組で

「創作は真実ではないけど、だからといって“嘘”という言葉で表現したくはない」

という発言(うろ覚えなので多分細かいところは違ってます)をしていたのを聴いて、

嘘松ツイートもそのような創作物のひとつであると考えて楽しめばまぁいいんじゃないか……?という気持ちにはなりましたが、人によってはそのツイートを額面通り受け取りそうだなぁと思うといかんともしがたいですね…。

 

 そういう創作ツイートを娯楽として流す人、娯楽として受け取って楽しむ人だけなら多分平和に終わるんでしょうけど。現実には悪意を持って嘘のツイートを流したり利用したりする人や、嘘のツイートを真実だと思い込んでしまう人もいると思います、というかいない訳がない、とすら思って利用しています。

 

 悪意を持って流された嘘ツイートは、いずれは嘘を真実だと思い込んでしまう人々の手によりデマへと昇華してしまいます。だからこそ、そこの境界線が肝要だと思うんです。

 

 創作ツイートを娯楽として楽しむには、嘘を嘘だと見破った上で(何かこういう事を言ってた人昔いましたね)楽しめる人のみで構成されるSNSでなければならない。それが一昔前の2ちゃんねるとかだったんでしょうかね。

Twitter2ちゃんねるとは違い、名前が付いて匿名性のないSNSと思われがちですが、やろうと思えばなりすましだって出来てしまう匿名掲示板と同じようなものだと思わなければならないと思います。

嘘を嘘と分からない人でも簡単に利用出来てしまう敷居の低さが裏目に出てしまっているのかもしれない。一昔前の2ちゃんねるはROMるとかいう文化もあって住人は洗練されていた印象でした(最近はまとめサイトとかから来る情弱とかの存在もあって荒れてるような気がする)。

 

 今運用されているSNSについて考えていると、どんなSNSが自分の創作世界の中では必要とされるのかの考察にも繋がって楽しい。

なお進捗は駄目な模様。

弱者の中のカースト

 1番長く乗る路線が1番混むわ揺れるわでしんどい。

 

 見ての通りの(?)カタワなので、なるべく優先席に座らせてもらっています。でも、見ての通りとは言いつつもぱっと見では分からない障害なので座っているとたまに「譲りなさいよ」と怒られることもあります。

そういう時は、知らない人に話しかける元気があるなら座らせてくれよ……と思いつつ障害について説明しています。その一方で、お子さん連れの家族は健康状態や成長度に関わらず譲られているような印象を受けます(まぁ立たせておくのも大変であろうことは察せます)。

 退院して社会生活に復帰して、障害者であれば障害者であるというだけで社会に優しくしてもらえるんじゃないか?と思っていましたが、流石に甘えでしたね。

 

 ただ、怒鳴り散らすご老人(元気)が座れて自分が座れなかったりするとこの世は地獄かよ~~とはなります。

今日は千秋楽らしいですね

 それにしても近かった。Cスタか。

 


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なんやかんや人生初観劇でした。箱が小さいのもあってか、演者さんの迫力の圧がすごかったです。

演出も新鮮でした。真っ白な舞台に段差で高低差をつけ、プロジェクターで地形や地質を投影する形式らしく、投影された地形が揺らぐ気持ち悪さがそのまま場面の気持ち悪さの演出になっていて(アニメでしかできなさそうな事を現実の世界で表現するのか……!)と驚いてしまいました。

舞台には転換が付き物、というイメージは舞台を観たことがないながらもあったのですが(多分ドリフのDVDとかの影響)、プロジェクターで投影する形式だったからかそこまで大掛かりな転換もなく、ぶつ切れな感じもありませんでした。布をうまく使っていたな、という印象です。

妙に現実感のある非現実、を感じました。昨日の夜寝る前に(これ絶対夢に出るぞ……)と思ったくらいに、夢のような非現実でした(実際には疲労と薬とでぐっすりでしたが)。

 

 舞台鑑賞も楽しいもんですね。

シェイクスピアとかのイメージが先行して舞台鑑賞=高尚な趣味で私ごときには手の届かないもの、みたいなイメージがありました。でも、今回のような古典ではない舞台劇の存在を知って、他の公演も機会があれば観に行きたいと思いました。パンフレットを読む限りでは、以前の公演とも若干世界観を共有しているところがあるらしいので。

 

 せっかくだから今回の円盤買いたいなぁ……。

今回の感じを見る限りは円盤を買うなら円盤を売る回のチケットも買わなきゃいけない感じみたい(通販がないとも言う)。今回の公演の円盤が出る公演も頑張ってチケット取ろう。いつだろうか。