自分は本当に頭の回転が遅い。アイスコーヒーで頭を冷やしながら、必死で考えていた。目の前の相手はこれに付き合う義務なんてないことを、バックグラウンドで理解しながら。
分かったことがある。薄々気付いていたことではあったものの、言葉にされるまでは努めてその結論に至らないようにしていたことだ。それを認めるのは考え/生き方の根底をひっくり返されるのと同義だからだ。
というか、私の友人たちは大体感づいていることだと思う。
私には芯がない。その理由は何度も考えたから、流石に分かっている。もうわざわざ書く気はないが、分かっているつもりだ。
私はいつだって何周も考える。非定型の思考回路から、定型の結論を導き出すために、何度も思考する。そして気が付いた。非定型の回路では、定型の答えには至れないと。至ったところで、至ったことすら認識できないまま通り過ぎる、と。この思考には意味がない、無駄骨だと気が付いた。
次に何を考えたか?その上で、如何に道を修正するか、だ。これは言った覚えがある。「消去法だ」と。
「意味が分からない」と言われた。それはそうだ。あまりに脈絡がない。付け足そうとする声は、軽度の吃音にかき消された。改めて付け足そう。今思い出したけれど、それは再演だった。前も同じようなことをした。同じような相手に対して。今回は、明確な意思をもって。消去法のために、数少ない友人への裏切り行為を遂行した。
自分自身が生きる価値のある人間ではないことを、自身を“他ならぬ自分が嫌悪する存在”に身を落とすことで、証明しようとした。
言おうとして言わなかったことがいくつかある。答えが予想できた上に、その答えから展開されるだろう流れを望まなかったので、意識的に避けたことだ。「私のことを何だと思っているのか?」と問われた。
「一部の他人は深海の岩壁で、私の放った超音波を跳ね返す存在だ」と。言おうか迷って、言わなかった。それだって結局のところ、自分の言い訳を補強しようとする行為に過ぎない。
返ってくるだろう答えのほとんどを、予想できた。そこには、自分とは違う、固形の自我があることを知っていた。
「友人だ」とすら言わなかった。それを否定する材料が揃っていることが分かっていて、都合のいいことに、それは否定されたくなかった。
疲れ果てた。考えることに。意味のない答えを生産し続けることに。
へとへとになるまで考えた末に導き出された答えに、次の思考の手がかりになる程の価値すらないことを認めたくなかった。考えたこと自体が無駄だったと理解したくなかった。
ならばどうするか。無理矢理にでも答えを出せばいい。答えに誘導してやればいい。一番至りやすい答えは、消去法によるものだと思った。あれでもなくてこれでもないなら、残ったそれに違いない、というのが、一番簡単に見えた。そのために、“あれ”と“これ”に当たる物を、自ら確定して消せばいい。実に簡単な方法だ。面倒くさいのは苦手だ。回りくどいのは面倒だ。シンプルに行こう。1か0かを確定させよう。
私の自称「頭が悪い」の由来はこういうところですよ、と言ってやればよかった。根拠のない自虐ではないのですよ、実際に愚かなのですよ、と。
私の数少ない友人には、はっきり言う人とぼかす人とがいる。後者はいくら詰めたところではぐらかすけれど、前者は詰めればいつかははっきり言うと知っている。愚かで唾棄すべき言動に対して、毅然とした態度を示すことを知っている。
今回考えたのは、「自分に価値のないことを証明すること」だった。その点では、概ね成功したと言える。自分では、それを判断するのに役不足であった。判断するために必要な、自我すらなかった。相手の言うとおり、フラフラ、ヘラヘラしていた。ああ、ようやく分かった。
「どうしてすぐ『自分なんか』と言うのか」「自分を適当に扱うのか」に対する答えが分かった。
「自分に、尊重するだけの自我がないという自覚があったから」だ。
保身のための言い訳がいくつか思い浮かんでくる。そういう、上辺を取り繕うところだけが上手くなっていることを自覚する。
無価値感はそこに由来する。価値を算定された上で無価値と判断されるよりは、測定できなくて無価値と判断された方が傷付かなくて済む、という無意識の逃避を自覚する。私は私の、そういう卑怯なところが嫌いなんだ。優しい人間たちに「無価値なんかではない」と言わせて安心しようとするところが。
私が、物を書くことから逃げるのだって、何にもなくて、ようやくすがりついた、“物を書く力”すらもないことを確定しないためじゃないか。数値的に測れないのをいいことに、曖昧にしておくためじゃないか。最後に残された、「少なくとも物を書く力はあるのかもしれない」という希望に縋るためじゃないか。
師匠は言った、
「自分が馬鹿だという風に規定した方が楽だと分かって、そういう方向に動いているのは、馬鹿のすることではない」と。買い被りすぎだ。馬鹿ということにしておく、と、何かにマウントをとっているだけだ。わざわざそういうことにしなくても、そもそも私は馬鹿だった。
そういう理解をした上で、私は当分同じ生き方をするのだろうと思う。正解なのか分からないうちは、不正解を自ら選んで破滅を選ぶのだろうと。
あるかどうかも分からない希望に向かうよりは、定められた破滅に向かう方が分かりやすい。わかりやすさは大事だ。何より単純明快だ。
絶望に追いやれば勝手に終わってくれるだろう、と、自分自身に期待している。能動的に選ぶ勇気すらないから、退路を断つことで選ぼうとしている。巻き込まれた周囲にとってみれば迷惑きわまりない。申し訳なさはあるものの、その白々しさには自分でも呆れる。
自我を持つことは急所を作ることに等しいと考えている節がある。急所があると、そこを突かれる可能性が付きまとってくる。防衛が必要になる。社会をやっていく必要性が出て来る。それは非常に面倒くさい。というか私にはとても出来そうにない。社会は無理だ。じゃあ急所を作らなければいい、自我がなければそれが叶う。四半世紀にも満たない人生で学んだのはそういうことだったらしい。
だから、私には怒るポイントが存在しない。急所がないのだから当然だ。私が他の人に怒らない/怒れないのはそういう訳だ。私がするのは、他の人が怒るっぽいところで、自分も怒ってみたりして人間らしく振る舞うことだけだ。
自分には自我がない。積極的な境界がない。私があるのは、他人ではないところだ。消去法で残されたところだ。出来ることは、他人の範囲を拡張して、自分らしきところを推定することだけだ。
言葉で反論できる物のみを好きになる。それらしい物を好きになる。好きということにしておく。そこに自分がいるということにしておく。
何かを好きになると、その分弱点が増える。攻撃されると困る部分が増える。何かを好きと表明するのは、取引だと思う。コミュニケーションにおける通貨だと思う。共通項を探すための物ではなく、「自分はあなたに対して『弱みを見せる』という選択をしましたよ」と表明するものだと思う。
会話が思い浮かばないのも無理はない。そもそも、わざわざ語ろうと思うような事柄が思い付かないのだ。
ポジショントーク以外で、何も話す気が起きない。何かを話す意味を感じない。ルールとして定められた定型文以外に、必要性を感じない。
特定の何か以外はほとんどどうでもいい。そこにある、ということ以外に感慨はない。好きになろうとした上で何かを好きになれた試しがない。やはり無理が生じる。
自分の好きに自信が持てないのは、その裏付けが揺れているからだ。好きじゃないかもしれない、という考えが、常に“好き”たちに付きまとう。今のところそれがないのは、ごく一部の、思考の中で“好きじゃない”を否定し尽くした事柄だけだ。
好きということにしたものたちについては、他人に共感されそうなところに、好きの理由を置いておく。会話の種を蒔いておく。それらしい弱みをちらつかせる。本当に面倒くさい作業だ。最低限の社会っぽいものをやるために必要な作業みたいだから、と、仕方なくやっていたけれど、やっぱり私にとってのリターンを、面倒くささが上回る。
寝て起きて思った。グッチャグチャにされたかったのだ、と。何なら、西へ行ったこと自体にすら破滅への欲求が混じっていたくらいなのだから。
金を使い切るつもりで臨んだ。往復の切符をとる時に、旅行先のどこかで死んでしまう自分の姿を想像していた。だいたい、二日目は予定の上ではフリーだったし、行きたいところも特になかったから、そこでフラフラと、死ぬところを求めて彷徨おうとも考えていた。非日常の中であれば、高揚感のままに死ねると考えた。それを話したかどうかは知らないが、二日目には都合のいい創作のように予定が入って、そんなことは出来なくなったけれど。
行きたいところも、やりたいこともない、と正直に告げた。すべて任せた。三歩後ろをついて行った。一日目の時点で、幸せが許容量を超えていたものだから、後はもうどうでもよかった。
自分の中の、何かをしたい、という気持ち全部が嘘のように、空虚に思えた。価値観による裏付けのない欲求は、自分でもどうかと思うほど無意味に見えた。
非日常から味のない日常に帰った時に感じた、この先を生きていく目的とか意味のなさは、もはや恐怖であった。何もしたくなくて、何も決めたくなかった。
幸せになる方法が思い付かなかった。そもそも、自分が何に幸せを感じるのかすら分からなかった。だから言ったのだ、
「あの夢のような幸せには再現性がないじゃないか」と。あの幸せが、どんな文脈からもたらされた物か、どんなに考えても分からなかった。
やはり、今まで無意識にやってきたように、消去法で幸せを確定させるしかなかった。目に見える不幸から確定させていった。その末に幸せを認識できると信じた。
私が物事をハッキリさせたいのも、多分ここに由来する。とにかく、不幸だろうが何だろうが、そこにあるものを可視化することに意義を感じた。モヤモヤしたものに、名前を与えて型にはめることで、安心した。
友情に入ったヒビは、全て亀裂にまで昇華させた。ハッキリさせた。後々割れる可能性が残るくらいなら、割ってしまった方が早いと思った。
わかりやすい破滅を求めた。幸せを定義するために、不幸に突き進んでいった。
友達すら、見放される/見放す可能性が見えた瞬間に、見放させるように行動した。
破滅の果てに、「(今の自分は幸せではないが、)遠くに見える、アレこそが私の幸せだったのだ」と理解できると考えた。
何かへの欲求すべてが嘘のようだった。何もしたくなかった。
間違いかどうかも予想できないで、間違うという覚悟もできないで、実行して間違うことが怖かった。間違いだと分かっていたことならば、ああ、ほら、予想通り間違っていた、と思える。安心できる。
私の内に、理論/価値観に裏付けられた判断基準はなく、すべて経験によった。自分自身に判断するだけの能力がないことは、自分で分かっていた。判断した上で間違うくらいなら、判断しないで間違う方が近道に見えた。負う傷を浅くできると思った。
私の中には何もなかった。何もないという事実から目を背けるための行動のみが積み重なってきた。
自分を馬鹿にしてくる全てに、そんなことは百も承知だ、と思っていた。言われなくても分かっている、と。分かり切っていることを、わざわざ言ってくること自体に、マウントをとっていた。正解は分からないけど、少なくとも今の自分が間違っているという自覚はある、ということに安心していた。
間違っているのに、間違っている自覚がないまま生きる気はなかった。どうせ間違うのなら、自覚をした上で間違いたかった。ほらやっぱり、思った通りだ、と安心したかった。
予想もしなかった不正解によって罰されるよりかは、予想通りの不正解に罰される方が、心の持ちようが違った。備えが違った。
人間はいきなり、脈絡無く一方的に、不正解を叩きつけられることを、三年前に思い知った。
そしてその、理不尽な不正解で、私は完全に挫けた。慎重に正解を選んだところで、突発的な不正解には抗えないと学んだ。丁寧に積み上げた正解も、天災のような不正解の前には為すすべなく崩れ落ちると知った。
正しく生きるのは、自己満足でしかない、と。
不正解は積み上げた正解の量など関係なく、常に正解に対して優位に立っていた。文脈の中にある正解が、脈絡のない、理不尽な不正解に勝てる道理はなかった。繊細な正解は、粗雑な不正解によって挫かれると知った。自分の手の及ばないところから、不正解が降ってくると知った。
ならば、正解を積み上げることに、自己満足以外の意義はないじゃないか。自分を安心させる以外の機能はどこにもないじゃないか。
そんなことなら、不正解という名の暴力に身をやつした方が楽だ。
結局のところ、美意識の問題なのだ。間違うことに傷付かないために、間違うことに対して不感症になったというだけの話。だってどうせいつかは絶対に間違うのだから。間違うことに鈍感になれば、負う傷を浅くできる。
私は、能動的に幸せになることは出来ないと気が付いた。だからあの旅行の幸せが、余計に心を抉っていった。思い知ったのだ、私にはこれだけの幸せに、自分で辿り着く力はないと。故に「再現性がない」のだ。
「お前は『幸せだった』と言ったじゃないか。あれは嘘だったのか?」再演。
「いいえ、あれは幸せに相違なく。だからこそ、なんです。」適当に生きていくために、私はあれを知ってはいけなかった。あんなに幸せなことがこの世界にあると、気が付いてはいけなかった。あれだけの幸せに、どうすれば自力で辿り着けるのか、見当も付かない。ただ、そこにあるらしい、ということを知らされただけだった。それは、マップに表示はされるものの、そこへ行く手段がない島でしかなかった。
「少なくとも、幸せになろうとしろ」その言葉すらも、霧散した。なろうとしてもなれないことだと知った。
だから、幸せというゴールは諦めて、不幸という結論を目指すしかなくなった。そこになら至れると思った。繊細に正解を積み上げていくよりは、乱暴に不正解を重ねていく方が、簡単に。
私にはもう、破滅を目指すことでしか、自分の人生を、自分の意志で歩むことが出来なくなった。幸せにはなれない。無理だ。幸せの発生に、自分の意思は介在しない。自分が何を幸せに思うのかすらハッキリしない。何を幸せと判断するのかの価値観すらない。一方、破滅は自分で選べる。意識的に間違うことは出来る。
考えた末に至ったのはそういう結論だった。