生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

思考の嵐が止まない

 生きてやりたいことがない訳じゃない。いっぱいある。


 自分の中に、“人から必要とされるだけの何か(能力)”が何ひとつないことを理解している。私の中には何もない。だから誰も必要としない。簡単な話だ。
自分以外の誰かを用いなくても、他ならぬこの私自身が私を必要としていない。私が私を必要とするだけの何かは、私の中に存在していない。
私には私が必要ない。こんな私、私にはいらない。必要ない。

 必要ない物を抱えたままでいるのは、しんどくてしんどくて仕方がない。やりたいことをやるためには、この必要ない物を抱えながらやらなければならない。それもしんどい。

 やりたいことはある。
例えば、師匠とおいしい物を食べに行くこと。
ひとつの話を完成させること。
一緒に行くような友達がいなくなった卒業旅行に、ひとりで行くこと。
恋じゃなくて、愛を知ること。
他にもあるかもしれないけど、今ぱっと思い付いたのはこの辺りだ。

 だけどそのやりたいことをやるためには、耐えなければならないことがいくつもある。今まで経験してきたことから容易に推測できるような。
今の私には、それらを乗り越えようと思える程の能力/体力/気力がない。何にもなくて、やりたいことも出来ないまま無駄に時間だけを食っていく。
「時間は大事だ」灰色の男のセールストークが聞こえてくる。
そう、時間は大事だ。無駄に浪費してはならない。


 頭の中がグチャグチャだ。無神経な空き巣に入られた後のような気分だ。もう何も考えたくない。

早く、早く、と焦る自分と、勇気を振り絞れない自分とがいる。意気地なし。

 早く死なないと。早ければ早いほどいい。感じる苦痛は少なければ少ない方がいい。生きることが苦痛なら、早く死んだ方がいい。


 最近朝から晩までずっと、何をしてても
「早く死なないと」という思考が頭の中を埋め尽くしている。
「早く死なないと」「早く死なないと」と、頭の中で増殖していく。
早く死なないと、また以前死に損なった時のようなことになる。前よりも確実な方法を探さないと。

 そうしているといつしか、自分の視界は二年前に自分を俯瞰した時のような視点に移り変わって、その言葉遣いが少し変わる。「早く死ね」「早く死ね」
三者の視点から、自分じゃない他人の立場から、繰り返される。そこへ、家にいると聞こえてくる、父親の「死ね」という独り言が重なってくる。
 自分に対する「早く死ね」は、「何で死なないの?」に変わる。何でだろう。私にも分からない。こんなにも「早く死なないと」という義務感に駆られているのに、どうして具体的な行動に移せないのか、分からない。

 この身体だと、縄を結ぶのもままならない。必要なところを頑丈に結んで、ぶら下げて、失敗したら解いて、ただそれだけのことにすら四苦八苦する。もしかしたら、この方法は私に合っていないのかもしれない。
 ならどうする。飛び降りか、飛び込みか。どうする、どうする。
何でも言いから早く死んでくれ、自分。これ以上生きていても人生は下り坂。上り坂なんて用意されていないのだから。

ここまでよく耐えてきたな、と思う

 父親との二人暮らしが始まってからもう10年弱経つ。


 今から思い返すと、よくそれだけの間この状況に耐えてこられたな、と自分でも思う。
自分の家に帰ることを、毎日自身に課せられた懲役刑のようにしか思えなかった。本当に、真綿で首を絞められ続けるような生活だった。いっそのこと殺してくれればいいのに、と、言ってしまいたくなるくらいの生活だった。もっとも、そんなことを口に出した途端に例の脅迫が始まることが目に見えているから言わなかったのだけれど。
「じゃあ学校やめるか?」
「母親のところにでも行って、母親とその彼氏?の人?に優しくしてもらえばいいじゃん」
「俺に逆らうってことはそうしたいってことだよね」etc.

 私の家の中には、ろくに首をつることが出来るような場所もない。何もかもが低くておんぼろで、低身長で窶れた私をぶら下げるだけの強度すらない。私は自分の住処で死ぬことが出来ない。
どうするか、どこか遠いところの山奥まで電車を乗り継いで行こうか。
それとも何かに轢いてもらって、親に復讐してやろうか。
最近思い浮かんでくるのはそんなことばかりだ。先のことなんて考えたくない。不幸しか待ち受けていない、未来のことなんて。
 未来どころか明日、明後日、明明後日のことすら考えたくない。
やりたくないけどやらなきゃいけないことから逃げ出したい。義務から目を逸らして、死ぬ方法を直視したい。でも出来ない。もしもまた失敗したとしても、一刻も早く少なくとも父親から逃げる道はある状態にしておきたい。

 この10年弱が異常な状態だったのだ。
自分の老後のための投資として子供を育てるような(少なくとも父親からはそういう目的があったと直接聞いた)祖父母、両親の元にいるのが異常だったのだ。
「もし俺がよぼよぼのおじいちゃんになっても老人ホームなんかに入れないでちゃんと面倒見てくれよな」と、父親。
「ここまで育ててやったんだから」父親。
「お前の母親は頭がおかしかった」父親。
「お前みたいな馬鹿にはどうせ分からないだろうと思うけど、」父親。
「馬鹿な子だねぇ」父親。
父親。父親。父親。うるさい。うるさい。うるさい。

 父親の声は、四六時中私の耳に群がってくる。父親がいてもいなくても、私の耳が電灯であるかのように群がってくる。特攻を仕掛けてきては、不快な音を残す。その繰り返し。
 彼の言うとおり、私は頭がおかしいのだろう。彼の言葉を借りれば、私を産んだ女のように。
群がってくる声を追い払いたくて、耳栓代わりにイヤホンで耳を塞ぐ。無音のイヤホンで守りを固める。
それでも声はやってくる。もう嫌だ。勘弁してくれ。私はうるさいのが本当に苦手なんだ。静かにしてくれ。
 実際に今この瞬間聞こえている音ではないことは分かっている。鼓膜が震えていないことも分かっている。分かっているけど、嫌な音が頭の中で何度も何度もリピート再生される。止まってくれない。


 この10年弱、両親、祖父母、それ以外の誰かたちから浴びせられ続けてきた誹謗中傷が、頭の中から消えてくれない。

“晩ご飯 豚肉”“晩ご飯 サバ”“晩ご飯 鮭”

 大抵の場合、それで1週間が回っていく。

 夕方から夜にかけて家にいる人間がいないため、夕食は自然と自分で調理して食べるようになった。私は毎朝家を出る前に炊飯器の予約炊飯を設定する。
 そして家に帰ってから居間の机に残された、“晩ご飯 ○○”というメモを見て自分の分を調理するのだ。調理、といっても、大したことはしない。そんな体力もない。
だから○○に入る言葉が“豚肉”の時は大体生姜焼きだし、“魚”の時は大体塩焼き。家で食べる夕食を楽しみに思えなくなったのがいつの頃からか、それすらもう思い出せない。それくらい昔から、“このヘトヘトな身体を家まで引きずった後に食べる夕食”に楽しみを見いだせなくなり、単なる義務にしか思えなくなった。
生姜焼き、塩焼き、塩焼き、生姜焼き、塩焼き、塩焼き。毎晩がそれで終わる。決まりきったローテーション。もう何巡したのだろう。分からない。
 分かりきった晩ご飯に嫌気が差して、家に帰るまでの間にそこらへんのチェーン店で空腹を満たしたいと思う夜は少なくない。だけど、その日の朝に他ならぬこの自分が予約した炊飯のことを思い出すと、帰って家で食べなければならないということも思い出す。だから私は寄り道せずに分かりきった晩ご飯に向けて重い足を持ち上げるのだ。

 今日の晩ご飯は何だろう。豚肉か、サバか、鮭か。何にせよ楽しみには思えない。

「あなたのしてきたことは、全て見当違いでした」

 と言ってるような気がした。

 先日、暇潰しと話題作りのために婚活のカウンセリングに行ってきた。
その結婚相談所ではどんなことをどんな流れでやるのか。結婚相談所に行ったこと自体、そこが初めてだったから比較する対象もなく、ただただへぇ、そんなことするんだ、程度に聴いていた。

 そのカウンセリングでは、入所前に“簡単なヒアリング”と称して色々と聞かれた。他の相談所でも同じようにやるのかどうかは分からないけど、結構突っ込んだところまで聞かれた。友達にすら話したことがなかったような、家庭の細々としたことまで聞かれた。
そうして聞かれたことに対して素直に答えていたら、カウンセラーの人が
「それは大変でしたね、実は僕も……」と、自身の込み入った家庭状況について語り始め、
「……だったけど、今では幸せです(要約)」と言って締めくくった。そして彼は続けてこうも言った、
「あなたのお父様(の暴力や暴言や脅迫など)やお母様(の浮気や束縛や包丁を娘に投げる行為など)は、ご両親もまた被害者であることの裏返しなのです」
「だから許しましょう、あなたが許しさえすれば不幸の連鎖を断ち切れる」と。
 (何でこの男は真剣な顔をして意味の分からないことを言っているのか?)
(どうして私が両親に歩み寄らなければならないのか?)目の前に座る男が言っていることの意味が上手く読みとれなくて、私は空気を紛らせるためにははは、と笑いを返した。上手く笑えた自信はない。
 そのカウンセラーの言い分としては、
「子供にそのような(前述のような)行為をするようになったご両親は、そのように育てられた被害者なのだ」
「だからあなたから歩み寄り、許しましょう」とのことらしい。まるで私が感じている不幸は全て、私自身の不寛容さによるものとでも言われているように思えた。
そして、
「ご両親があなたにした行為は決して肯定されるような行為ではない」
「だけどご両親はそうするしかなかったんです」
「逃げようと思えば逃げ出せたはずなのに逃げなかったあなたもあなたです」とも。
 そうか、私が家族のことを考えて、家族がまた家族らしくなれるようにと思って暴力/暴言/脅迫/束縛に耐え抜いてきたのは、全部全部見当違いの行為だったのか。今まで20年と少し、私がしてきたことは全て無駄な努力だったのか。

 そんなことを考えてたら、もういいや、と思うのもおかしい話ではないでしょう?だって、もし仮にこの先私が生きていくにあたっても、今までのように見当違いの努力をして空回りしない保証なんてどこにもない。むしろ、空回りする可能性の方が大きいくらいだ。

 20年と数年をドブに捨ててきたようにしか/その間私が積み重ねることの出来たのはマイナスの値のみだとしか思えない。
 同年代他の人らはその程度にこそ差はあれど、大抵プラスの値を積み重ねているのに、私にはプラスどころかマイナスの値しか積み重なっていない。何もない方が、ゼロな方がまだマシだ。
 だけど私はマイナスで、つまり私は他人のプラス分+自分のマイナス分だけ、他人より劣っているということだ。他人が生きながらプラスを積み重ねていく間、私はマイナスを積み重ねていく。そのことが予め分かっている状態で、人生つらいけどがんばって生きよう、だなんて思える訳がない。

 あのカウンセラーの顔を思い浮かべる。すると思い浮かんだその顔の、真ん中下寄りにある口がこう発話する、
「あなたのしてきたことは、全て見当違いでした。そしてこれからもあなたは見当違いの行いしかできません」と。

ほぼ毎朝更新されて、その日1日中効果が続く

 ほぼ毎朝父親の口から発されて私の耳に届く「死ね」という言葉は、1日中私の頭の中で効力を発揮する。


 夜家に帰ってきてからシャワーを浴びていても、その言葉は頭の中で木霊する。
「死ね」
「死ね」
「死ね」、その言葉が何度繰り返されたのか分からなくなってきた頃に、その言葉を構成する声の質が変わる。最初は父親に似た声だったそれは、段々と私の声に似通ってきて、遂には自分が今まさにそれを言っているような錯覚に陥る。
もしかしたら本当に、私自身が言っているのかもしれない。

 私は商学を学んだからか、物や用役にはそれ相応の対価を支払うべきだという考え方に支配されている。好きな物を食べるためにはお金を支払う必要があるし、労働には賃金が支払われるべきだ。そういう考え方で生きている。

 私は静かに暮らしたいのだ。だから家に帰ってきたら、外以上に静かに過ごすようにしている。父親がいようがいまいがお構いなしに、静かに過ごしている。呼吸音すら抑える。独り言なんて言わない。物音を立てないように過ごす。涙が出そうになっても堪える。声を出して泣いてしまったら、父親が脅してくるからだ。そうしていたら泣きたい時に泣けなくなって、泣きたくない時に涙が勝手にこぼれるようになった。私は静寂のためにこれだけの対価を支払っているのだから、静かに過ごさせてくれ。ただただそう思う。
 なのに父親は、ドスドス歩いてキィキィ食器を擦らせため息のオンパレード。終いには独り言で
「死ね」やら
「しんどい」やら言う始末。
師匠には言ったけれど、奴は他にも、自分の他に人がいることを知ってて言っているとは到底考えられないような独り言を平気で言う。お願いだから静かにしてくれ。
 うるさい。
気持ち悪い。
うるさい。
気味が悪い。
無駄な音を立てるな。
私を馬鹿にするな。
私に限らず、劣等感から他人を馬鹿にするな。
聞かされるこっちの身になってみろ。
思い通りにならないからといって暴力を振るうな。
暴言を吐くな。
生殺与奪権をちらつかせて脅すな。
 これ以上、私を追い詰めるな。死にたくなる程追い詰めるくらいならさっさと殺してくれ。
自分の手を汚したくないのなら、お願いだから静かにしていてくれ。

何があれば良かったのか、今となってはもう分からない

 何があれば私はこうならなかったのだろう。他の人にあって、私には無かったものって何だったのだろう。


 ふと、師匠との話を思い出した。“愛”?それとも“幸せ”?分からない。今更分かったところで何もかも手遅れなのだけれど。最後のタスクの日まで、もうそろそろ手で指折り数えられるくらいになってきた。

 私は欲張りだったのだろうか、満たされるべきところで満たされる能力を欠いていたのだろうか。

 以前入っていたサークルの演奏会に、差し入れを持って行こうと思う。
先生方にも先輩方にも合わせる顔なんてないから、元同期に、当日人が少なそうな時間帯を教えてもらった。その時間帯に渡す物を渡してしまったら、私はさっさとその場を去ろうと思う。
元同期たちに対して、私は何と言えばいいのか分からない。分かったとしても、それを口から違和感なく引き出せるのかどうかも分からない。だから、受付に手渡したらそこから逃げだそうと思う。

 そうしたらひとりで打ち上げをするのだ。
何の打ち上げかって?何の打ち上げだろう。私は何かを演奏する訳でも何でもない。だけど家にいるだろう父親と顔を合わせる時間は出来るだけ短くしたい。だから外で暇を潰す。そして自分なりに区切り/けじめをつけるために、打ち上げをする。
 最後の最後まで誰にも褒められることがなかった、それどころか、周囲の人間───血の繋がった親さえも───が貶してきたこの容姿を、自分に出来る限り全ての力を用いてクリスマスの木々のように飾りたてて、誰にも肯定されなかった容姿を、自分だけが無理矢理褒めて/肯定して、それで満足してしまおうと思う。自分の努力の限界を知って、満足して絶望するのだ。

 何事もなければ私もきっと、彼ら元同期のように大団円を迎えられたのだろう。分からない、もしかしたらそんな可能性は無かったのかもしれない。
それでも、ろくでもない人生だったけど、最後に少しだけ希望を持てて、夢を見ることができて良かった。人生お疲れ様でした。お疲れ様でした。
 そう言ってひとりで好きなだけ好きな物を飲み、食べ、貯金を無理矢理全て使い切って満足したら、帰って最後のタスクの日を待つ。私が追いかけて師匠の本を贈った、アイドルのような何者かのプレゼントboxにお別れと感謝の手紙を投げ込む。手紙がその人に届く保証はないけれど、一縷の望みをかけて投げ入れる。その日も終えたらやっとおしまいだ、父親が家にいない平日になるのを待って、家の中から父親の気配が消えたところでさようなら。最後くらいは父親というノイズのない、気持ちのいい空間を望んだって罰は当たらないはずだ。

 きっと次は上手く行く。
上手く行かなきゃつらい毎日が待っているだけだ。
成功させなければならない。次こそは、次こそは。次に失敗した場合のことを考えると泣きたくて仕方がなくなる。もうつらい毎日にはうんざりなんだ、逃げさせてくれ。私はもう十分に、つらい毎日を堪能したから、もう勘弁してくれ。