生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の備忘録

フォトジェニックについて、ちょっと拗らせた続き

 フォトジェニックについてのちょっと拗らせた引きこもりなりの考察。

 いきなり話は飛びますが、一億総中流社会って本当か~~~?みたいに思ったりしません?私は思ってます。
 趣味で色々書いているので、そっちのテーマもそういう系統のものなんですが…。
 ブログはブログで、ストーリー仕立てではない形でまとめてみたいと思います。

 また話は飛びます。最近(前からあったかもしれないけど最近)、低価格でもそれなりの品質の物を得やすくなったと思いませんか?
 例えば100円均一とかを見てみても、100円(+税)さえ払えばそれなりの物が買えるじゃないですか。
 何というか、百均の商品から得られる満足度は100円+税にとどまる程度の物ではないんじゃない?という感想を抱いてしまいます。
 要するに、低価格中品質。品質に価格が見合っていない感。

 話を戻して、一億総中流社会について。
 世間一般で「中流」と認識される生活を送る階層には、確かに以前と比べれば楽に到達できるようになったのかもしれません。
 でもそれ、中流の生活を送るために必要なコストが低くなったからじゃない?と。中品質の物も低コストで消費できるようになったし。
 ぱっと見中流の生活を送っていても、実体は中流より下なんじゃない?と。
 何が言いたいかと言うと、世間一般の「中流」に到達するために、ちょっと背伸びをしてる人もいるんじゃない?って事ですね。
 
 ここでやっとフォトジェニック概念の話に戻ります。長かった。
 周囲にフォトジェニックとかを気にする人種があまりいないので間違っているかもしれないのですが、とりあえずフォトジェニックって、SNSを映えさせるコンテンツのひとつなんだろうな、って認識をしています。
 SNS映えが何で必要になるか?って考えたら、やっぱり(言い方は悪いけど)イキリたいんだろうなぁ…と。
 実際の生活は普通の、それでもって「理想的な中流」には到達できてない状態の人が、見せかけだけでも理想的な中流にするために必要なんでしょう。いやわからんけど。

 というか、中流の幅が広すぎないか?ということ。
 上も下もぜーんぶひっくるめて、「中流」にカテゴライズされている。中流の平均値が、本当は上流社会にいるはずの人間たちによって引き上げられている。
 だから、中流の下が中流の平均的な生活を送ろうと思うと、ちょっと無理しないといけないなってなるんですよね。

 差別だの格差だのの是正が弱者のために行われたはずなのに、下流中流にまとめられたためにしんどくなっている感じ。
 フォトジェニックはフォトジェニックで、(コストやブランド的には)無価値の物に写真映えするという価値を無理矢理付与することで回っているものなので、いずれ無価値と見せかけの価値のギャップのひずみが大きくなって廃れる文化だとは思いますが。

 品質とそれに見合った価格は重要よ、って話でした。おしまい。