生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の備忘録

自称することの底の浅さ、危うさ

 自称クズ、痛い!(自戒込み)

 

 高校の時に仲良かった人らは「クズ勢」と自称し、周りからもそういう括りで呼ばれていました。私もその響きに若干の憧れを抱きつつ連んでいたような気がします。

 冷静に考えたらクッソ痛かったのでそのグループからはもう離れましたが。久々にそのグループの人と話したら、いつの間にかクズに憧れを抱いた先輩とかも参入しててめっちゃ笑った。いやー痛い。

 

 「自称クズ」に限らず、何らかの個性を自称してしまうのは“浅い”な、と思ってしまいます。

個々の性格なんて一言で言い表せない程の多様性・多面性があるにも関わらず、(本人が備えているか否かは別として)ある一面を切り取って強調するのは自分の自我(アイデンティティー)に自信が持てていないからなのかなぁ、と。わざわざキャラ付けしないと、“『それ』である”ことを演じ続けていないと、自分を見失ってしまうと思っているからなのかなぁ、と。なんてディストピア

 アイデンティティーは20歳前後で形成されるものだ、とは言いますが、形成されても一言で表せるような個性に収束するものではない、と考えています。

というか、そうでないと依存していた「ある一面」が崩壊すると容易に自分を見失ってしまいそうな気がしてしまうので。私の専攻的に表現すると“担保”みたいなものです。ギャンブルでもあるまいし、投資をするにも一点張りなんてしない筈。リスクを分散しておくに越したことはない、という感じですかね。

自称するのは勝手ですが、言霊・相互認識ということもありますし、ひとつのキャラしか自称していないと、自分の脳もそれにつられてその自称した部分しか認識しない気もしてしまいます。それでも敢えて自称するとするならば「これのみが“自分”ではない」ことを意識しながら自称する必要があると思います。

 

 自我論に至ったのは絶対昨日のトークショーに引っ張られてるからだ…。影響されやすいにも程がありますね。