生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

アクセス解析で数は見えていたけど、“誰が”は昨日ので全部把握しました。駄文書きマンなので恥ずかしいです

お久しぶりです。

腕の筋肉痛がすごいので清々しい朝……とはいきませんが、とりあえずおはようございます。

昨日は学校近くまで行ってきたので、色々用事を済ませてきました。出不精なので一度外に出るとついでに色々やりがち。

生身の(父・病院関係以外の)人間とひっさびさに話しました。楽しかった。

日光浴びるのと、人間の言葉をきちんと話すのは人間として生きていく上で必要なことなんだなって思いました。

でも同時に怖いな、って思ったのが“楽しかった、ということ”は思い出せる一方、“具体的に何を話したのか”の記憶が疎らなことです。



さて、この長い空白期間何があったか、ということを長々と/つらつらと書こうと思います。キリが良いので薬も飲んでおきます。

まずポプテピピ。クが始まった頃。

この頃はもうアニメを観る体力がほとんどありませんでした。だから1,2週くらいは様子を見ることにしていました。
その頃です、異変が起こり始めたのは。

他のアニメに関しては例年通りの、まあ予想が付く範囲内の文言がTLを流れていきました。しかし、ポなんとかを観る人々に変化が現れ始め、それに伴い、自分はある感覚を感じ始めました。

自分がサークルを辞め、少し離れたところからサークルを見るようになってから感じたのに似た感覚。いえ、サークルには限りません。言うなれば、あるコミュニティーに蔓延する空気に対して疑問を抱き始めた時に抱くのに似た感覚。

それを、コミュニティーに属していない状態で抱いてしまったのは何故か。
それはきっとそのポなんとかを崇拝する人々の間に蔓延する空気に似た空気が蔓延していたコミュニティーに属し、自ら離れた経験があるからでしょう。

「痛い(痛々しい)。」

それが最初に抱いた感想でした。古傷を抉られるような、“その言動をしたくなる気持ちが分からない訳ではないからこその感情”に支配されました。

身内ウケならまだ良い。ポなんとかはチラッと何話か見て、それが身内ウケで笑いを取っていくコンテンツであることは理解しました。そのコンテンツの在り方、スタンス自体には、何も問題はありませんでした。

では何が問題だったのか?

それは“そのコンテンツを追い、そのコンテンツを追っていない人を安易に傷付けても良いと考えてしまう、ある種の選民思想を持った人の存在”でした。これも、その気持ちが分からない訳ではないということが余計に(まだそんなレベルの通り魔的な行為をしているの?その年で?)という気持ちに繋がりました。

ポなんとか自体は私も好きでしたよ、色々と面白い試みをしていましたし。

でも私は我慢が出来なくなって、限られた人しか見ていないTwitterのアカウントで、その自分からしたら幼稚に見えてしまう行為を特定の誰に向けた訳でもなく咎めるようなツイートをするようになりました。
ここを見ている人はまさかそんな幼稚な楽しみ方をする人間ではないだろう、と。

そしたらそのまさかが的中してしまいました。

しかも最悪なことに、私が(この人は私と同じように考えているだろう)と考えていた人に、私が呟いたその“誰に向けた訳でもないツイート”が刺さってしまったようです。

それ以降、私とその人との間の距離は開いていきました。
何ならついでに今まで私と関わってきた中で抱いてきて、我慢させてしまっていた感情が、その刺さってしまったことにより、その人の中で爆発させてしまったようでした。

この頃でしょうか、今のように慢性的に気持ちが沈むようになりはじめたのは。

外に出るのが怖くなりました。人と関わるのも怖くなりました。でも当時、楽しみにしていた予定がありました。他の友達とオムライスを食べに行く、という。

当時の私はただその予定だけを楽しみにして、また、その予定を一つの区切りと考えて生きました。だから、オムライスを食べ終わって、同行者たちと別れた後家に帰ってひとしきり楽しかったな、と思い返した後から、私はもう「死ぬこと」以外考えられなくなりました。
その先起こるであろう困難に、立ち向かう気力がなくなりました。死んで楽になりたい、と思いました。

今思い返すと、先述した人と距離を置くことになってしまったことが、自分の中で負い目になってしまっていたのでしょう。私は前々からその人に贈りたいと思っていた花束を宅配で送りました。宅配出来るのは高いものしかなかったから、少し高めの物を、やけくその散財の意味も込めて。
それが何か、状況を打破してくれれば自分だって安心して死ねるだろうと期待して。

でも死ねませんでした。電車に飛び込もうとする度に、黄色い線を跨ぐ度に、足は竦みました。
前回サークルの三役に止められた時、首を吊ろうとしたものの、家の中だとどう頑張っても足が地面に着いてしまうことを悟ったため、確実に死ねる方法を、と思い電車に飛び込もうと思いましたが、決意も覚悟も足りなかったようで、どうやっても死ねないまま、ゼミの合宿や、ゼミ同級生懇親会幹事等のタスクがいっぺんに襲いかかってきました。
そこで私はどうにもならず、以前昼夜が逆転した際に睡眠薬を貰いに行った精神科にまた相談しに行きました。
そこで精神安定剤を貰い始めるも、依然としてやらなければならないタスクは襲いかかってくる。
たまらず「精神病院でも良い、入院したい」と親に相談しました。
その結果、高次脳機能障害の評価のための入院をすることになりました。その入院のためにやらなければならなかったタスクは先送りされ、入院中はずっと知能の検査をされていました。
二週間の入院だから、と事前に精神科にその分の(もっと言うなら入院し終わるまで、だけの分の)精神安定剤を貰い、何とかしのいできました。
そして二週間の入院が終わり、退院し、その薬を飲みきった翌日の、薬がなくなった朝から異変がまた起こり始めました。
退院する時、担当の看護師さんに「薬切れちゃうけどどうするの?次に貰う予約はできてるの?」と聞かれましたが、次の予約は(1週間後に)出来ていたためにその病院では薬を貰わなかったことがおそらく原因になったのでしょう。
退院日翌日から何もする気は起きなくなり、それでもその数日後からは四連日の通院のタスクがある、という状況に襲われ、何も出来なくなりました。

その中で、以前距離が離れてしまった人に対して昔貸した本を返してほしい、という旨の手紙を書きました。いつもするような下書きもせず、感情のままに書いたので細かい内容は覚えていませんが。もしかしたらそれが自分のこの鬱屈とした感情と、その人との関係性を修復出来るのではないだろうか、という少しの期待を込めて。

そして、昨日のこと。私は都内まで行き、使わなくなった楽器を後輩に譲りました。その後に、元同期に借りた物を返しがてら色々話しました。ようやく人間らしい行動が出来、素直に楽しめたことが私は嬉しかった。それが薬の力を借りたものだったとしても、その「自分が心から、素直に楽しめたこと」は精神を病んでからの私にとっては稀有な経験で、嬉しかった。

そして明るい気持ちで帰宅した時、家の机には以前距離が離れてしまった人からの小包がひとつ。昔貸したものだろうな、ということは開ける前から分かりました。
そして何の迷いもなく開けた時、そこに入っていたのは予想通りの貸した物と、予想していなかった1通の手紙───真っ白で無機質で何の感情も感じさせないような───でした。
その封筒を見た瞬間に、その日楽しかったほとんどが塗りつぶされて、その手紙を読まなければ、でも返事がこわい、でも、でも……となりました。
こわくてこわくて、私は毎晩就寝前に飲む、副作用に睡眠薬の効用がある安定剤を飲んでからその手紙を開き、読みました。
最近自分によくある、文章を読む時に目が滑ってしまう現象と戦いながらその手紙を読み切った時、その人と私との距離が取り戻しようもない程に離れきってしまったことを悟りました。
そして、読み切った瞬間、昼間の楽しかった思い出が“完全に、完膚無きまでに”鬱屈とした感情に塗りつぶされました。

早く副作用の眠剤効果が出てくれ、どうかこの地獄から眠りという手段で解放してくれ、と祈りながら、眠りたい、眠りたいと思い続けました。

そして寝て起きて、朝ご飯を食べてこれを書いています。思い返すと、どうしよう、どうしようとしか思えません。どうにかしたい、けどどうしようもない、取り付く島もない状況に絶望しながら、途中で耐えきれずに精神安定剤を飲みつつ書いています。

人に正確に気持ちを伝えることの難しさと、修復不能なまでに壊れきってしまった関係性を思い、自分の駄目さに嫌気がさしているところです。

どうすればいいんでしょうか?
誰かに相談したくてしようにも、いつも自分が相談していた人が今回距離が離れてしまった人だったため、途方に暮れています。二年前に倒れた時、半身の自由と思考の自由と諸々を奪われて何もなくなってしまった自分は、色々と相談できていたような貴重な存在すら失ってしまいました。

朝から暗くてごめんなさい。でも、こんな状況では明るい未来が想起できません。未来に向けて何も行動できません。

私はどうすればよかったのでしょうか?そして、どうすれば改善───せめてその人間関係の修復───をできるのでしょうか?誰か教えてください、助けてください。

助けて、ください。