生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

昨日は心が壊れるかと思った

今日から新学期ですね。
久々に人間のコスプレをして学校に行こうとしたら身支度に予想以上に時間がかかりました。
面倒くさいので髪の毛はぐしゃぐしゃにワックス付けて「これが完成形ですが何か?」みたいな顔して外に出てきました。ピアス着けてれば何とか誤魔化せるみたいなとこある。

一昨日の昼間はすごい楽しくて、元カレ(箏)を後輩に手渡したことで一種のけじめもつけられて…f:id:takikomigohan0:20180402094847j:plain

と、前向きに行動できていました。
先週、今まで通っていた心療内科から最寄り駅にある精神科に移った時に簡単なマーク式のテストを受けた結果「発達障害の傾向が見られる」と言われ、ジェネリックが用意されていない少し高めの薬を処方されたり(脳出血の後遺症で似た症状が出ることもあるらしいからそっちの可能性もある)、
家から少し遠く行きづらい病院へ行き、高次脳機能障害担当のお医者さんに休学するための診断書を書いてもらおうとしたのにもらえなくて(その上にちゃんと通え、通うのがリハビリだ、と怒られて)涙目になりながら病院から遠い家までとぼとぼと帰ったり、
その翌日に歯医者に行ったら人格を否定されるくらいの勢いで怒られ、結局保険外の高い治療をすることが決まり(これは脳の方の治療の関係もあるからしょうがない)、

と、満身創痍で迎えた土曜日。つらいことがあったら多分壊れるだろうなぁ、と思いながら箏を渡して借りていた物を返して。
おそれていたようなことにはならなかった上に、やっと人間らしい関わりが得られたことで安心しきっていました。

そして家に帰ってきた時に届いていた小包と、その中に入っていた手紙。
それは舞い上がっていた私の心を壊すに足る材料でした(ここまで前回書いたかもしれないけど何を書いたか思い出せないんだごめん)。

でも月曜日(というか今日)は学校に行って少し煩雑な手続きをしなければならない(色々な説明をしなければならない)こと、その後に楽しみな予定が入っていることもあり、どうにか精神をフラットな状態まで持って行く必要があった。じゃないと楽しみな予定すら楽しめなくなるから。

処方されていた精神安定剤は朝晩しか飲めないため、日曜日の昼間には薬効が切れて布団に入って泣くことしか出来なかった。意識して笑おうとして「ははは」と声に出して笑ってみても涙は相変わらず、ボロボロと零れてきて止まらなかった。

違う部屋にいた父親からは「黙れ」「うるさい」等の怒号が飛んできて、顔は見えずとも怒っていることは判断がつき、それでも涙は止められなくて。

とどめにその晩父親に言われたのが
「もうお前と暮らすのはしんどい」
「(別居している)ママのところにでも行けばいいんじゃないか?」
「何か聞くところによると二人介護して面倒を見てるらしいしお前も面倒見てもらえばいいじゃん」
「ママと暮らしている知らない男の人にでも優しくしてもらえばいいじゃん」
といった言葉。

「前向きになろうとして、なるために、明日から学校行く準備を済ませたのに」と言い返しても
「それは惰性で行動しているだけじゃん」と言われ、
「お前この前と言ってること違うじゃん」「休学したいって言ってたじゃん」とも言われ。
「高次脳機能の先生に、学校行くのがリハビリ、と言われたから行く気になったんだ。休学してもやることがない(記憶についての医学的なリハビリもない)」
と言い返すと
「お前言うことコロコロ変わりすぎ。人に影響されすぎ」と言われたところでもう頭が真っ白になって、
「じゃああなたは私に何をしてほしいんですか。どうなってほしいんですか。その通りにします」
た返したところ、
「もういいよ、もう何もかも遅い。ママのところへ行け」と言われ、心は空っぽになりました。

その先の記憶はあまりありません。何を食べたのかも思い出せません。でも、最終的にはとりあえず学校へ行くことになりました。
それでも気分は憂鬱で。そんな状態の時に例の小包と手紙が目に入って。
シャワーを浴びながらだいぶ泣きました。部屋で泣くとうるさいと怒られるから。シャワーの音で誤魔化しながら。
「何で頑張っても頑張っても何にもならないの」「どうすれば良かったの」「どうすれば幸せになれたの」と呟きながら、喉がカラカラに乾くまでひとしきりお風呂で泣きました。
部屋に戻って髪の毛を乾かしながらTwitterを見ていて
https://twitter.com/fta7/status/980349451867844608?s=19
のツイートを見つけた時に、ようやく
「ああ、あの子と私は趣味が合っていただけでそれ以外の何もかもが合っていなかったんだ」
「はじめて自分を理解してくれそうな人を見つけたことに依存していただけなんだ」と思えてスッキリしました。

“何でも打ち明けることの出来る(打ち明けることを許してくれる)存在”は失いましたが、“本当は合っていない人”に切り捨てられたことをいつまでも気に病むよりは、精神的な健康が保たれるような気がしました。

きっと
“自分自身が不器用だから”全てをつぎ込んで打ち込む必要があるサークルにいて、
それ以外の人間関係を並行して構築することも出来ていなかった状態でいきなり辞めなければならない状況に追い込まれ、
入院時の休学により学年すらもずれて知り合いが高校からの後輩くらいしかいない環境に投げ出されて、
どうにか頑張ってゼミの面接を受けて受かって、でもやっぱりコミュ障だから周りと上手く仲良くなることもできなくて、
以前いたサークルで仲良くしていた人にすらボロクソにdisられて、
結局何を頑張っても空回りして……という状況に追い込まれて自分を省みた時にはじめて、“今の自分には何も残っていない”ことを自覚して。

これほどまでに、もう自分ひとりでは駄目だ、というところまで追い詰められたのにやっぱり“今の自分には何も残っていな”くて。

昨日の私は心を壊しかけたのだと思います。
でも
「もう成人しているのだからひとりで地に足を着けて生きていかねばならないのだ」
「以前サークルにいた頃のことは夢幻と思った方がうまくいく気がする」と思ったところでようやく今日を人間らしく生きることが出来る程度には回復しました。

私は「周りが自分に求めているであろうキャラクター」を演じながら生きることしかできない人間です。そうでなければまともに話すこともできないでしょう。
その中でも「大学で求められたキャラクター」を演じることは、私の本来の人間性とのギャップを生み出して私自身を苦しめ続けました。
その「大学で求められたキャラクター」が“名字”のアカウントであり、本来の自分ではありませんでした。

『私は馬鹿だから、馬鹿にされてもしょうがないよね、と思いながら道化を演じきろうとした“名字”だけで生き続ける』ことを、高校で獲得した自分の人間性は許容しませんでした。
私はもっと色々と考えているのだ、ということを知ってもらうために、新たな“○○”を必要としました。
“名字”は大多数の人間に求められていた自分像であり、“黄色いアイコンの方”は私の本来の人間性と“名字”の間の溝を埋めるために便宜的に生み出された“○○”です。

きっと。
仮定が多いけど、きっと、私は“名字”ではない“黄色いアイコンの自分”を含有する“○○”を作り上げるべきだったのだろうな、とこんなにも取り返しが着かなくなってしまった今になって思いました。

先述の、父親に言われた
「言うことがコロコロ変わりすぎ」なのはそういう、私のような生き方をしていればやはり当然起こることだったのでしょう。
私は、家にいる唯一の保護者であり私を養う力のある父親の望む通りの人間であろうとしたし、学校でも他人の望むとおりの人間であろうとして生きてきました。
環境が変わる度に、環境に適した“○○”を模索して設定しながら生きてきました。

そういう生き方しか知りません。それ以外の生き方を試して上手く行った試しがありません。直近でそれ以外の生き方を試そうとしたのは大学1,2年でしたが、やっぱり上手く行きませんでした。

きっと、私はこの先も“○○”を設定し続けるでしょう。設定された“○○”と本来の人間性との乖離に苦しみ、また新たな“別の○○”を設ける必要に迫られるようなこともあるでしょう。

そして、今の私は思うのです。「普通の人間として生まれ、普通の環境で、普通の人間として、“○○”なんて作る必要もない人間に育ちたかったな」と。