生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

無題2話(長め)

―――今、君は何をしている?

「えっとね、わたしはいまかすみしょうのけんゆうかい?にいるの!
こうすけが『いっしょにやろうよ』っていってたからきてみたの!」

無邪気な声を聞きながら、得られた情報を手元の資料と照らし合わせる。とするとこれは4歳頃の彼女か。
まだまだ昔の記憶だから、浮上加速度を考えると次はもう…

「なんかね、ひっこししちゃうんだって…。
ぱぱのおしごとのつごうだからしょうがないけどかなしいな」

おっと。予想外の発言ではあるが、予想していた以上の情報が得られて助かる。これも資料と照らし合わせて加速度を修正していこう。
ならば次にすべき質問は…。

―――今、君はどこにいる?

「えーと、松え市にきちょるよ!
こっちに来てからす田けん友会に入って、絵もはじめたんだ!
プールはやめやいなだてて、す田けんに通うだけでつかれちゃうけーそれでもいいかなって!」

松江市にいた頃……で水泳をやめた時期、とすると7歳頃か。方言が入り交じって聞きとりづらいが、まあまあのペースと言える。
喋りながらも浮上は進んでいるだろう。どんどん進めていこう。

―――今、君はどこにいる?

「今はさいたまにいるよ!
まだ剣道と絵は続けてる。
1年くらい経ってようやく出雲弁も抜けてきて恥ずかしくなくなってきた!」

もうさいたまか。さいたまに来てから1年なら9歳といったところだろう。
加速度は落ちつつあるが、当初の予定通りだ。ここからは長丁場になるだろうが、焦らず行こう。
ここのような急性期病院では、リハビリを出来る時間も限られている。
そしてこの病室への面会は謝絶されている。まだまだ時間はたっぷりある。

「あっ……」

うん?何が見えたのだろうか。

―――どうしたの?

「あの…ママが怒って包丁を投げてきて…。」

おかしい。それはもっと先の出来事の筈だ。出血の損傷によって間の記憶が抜け落ちた?時系列を確認しなければ。

―――今、君は何をしている?

「細井中の剣道部に入りました。まだ道場の方にも通っています。」

―――他には何かある?

「あとは受験勉強と…ごめんなさい、これ以上は話したくないです。」

なるほど。空白期間を控除し、再計算した加速度と資料を照らし合わせると時期的には14歳。“両親が不仲”という記述もある、きっと話したくないこともあるだろう。

―――今、君は何をしている?

「ずっと勉強しています。
……高とはいっても偏差値的にはまあまあ高い方、頭の良い人がいっぱいいるから少しは頑張らないと順位を保てないので。」

「生徒会に入りました。
生徒会員は文化祭実行委員にならなきゃいけないらしいです。」

「勘違いしてしまいました、文化祭実行委員のことを。
勘違いしてしまいました、勘違いしてしまいました、勘違いしてしまいました……。」

どんどん口数が多くなってきた。浅めのところまで浮上してきたことの表れだろう。だが、思考の繰り返しは浮上の停滞へと繋がる。
別のアプローチを試みなければ、ここで浮上が終わってしまうだろう。

―――生徒会と、委員会の他には何をしているの?

「もう、勉強しかしていません。
勉強さえすれば、みんなと話せるから。
みんなが認めてくれるから。
でも相変わらず、父親は認めてくれません。」

「勉強しかしなくなってからしばらくして、担任に簿記の勉強を薦められました。家に持ち帰って父親に相談したところ、『ただなら受ければいいじゃん』とのことでした。
部活にも入っていなかったのでとりあえず、簿記の勉強も初めてみました。
ああ、あとそうそう、息抜きにTwitterを始めました。」

Twitterで出会ったのは同じ学校にいて、その中でも頭が良い男子の集団でした。
彼らは頭は良かったものの、素行は悪く、学校に雀卓を持ち込んで麻雀をしては怒られて没収されたりしていました。
真面目なだけが取り柄の私と彼らの邂逅は、その後の私の在り方を大きく変えました。」

「家庭環境がごたついていることも、
学校にキラキラ系が跳梁跋扈していて肩身が狭いことも、
普通の進路相談も、
哲学的な話も、何でも。
同世代の女の子には話せないようなことを延々と話していました。
学校の“やれば普通に出来る勉強”や、
共学校特有の“女の子が女の子として振る舞おうとする姿勢”
にどこかつまらなさを感じていたのでしょう、私は。」

「真面目に生きてきて悪口を言うことすらも知らなかった私は、彼らから
“悪口によるコミュニケーション”を教わりました。
『悪口至上主義』と言い換えられるくらい、そこには悪口がのさばっていました。
私自身が彼らに悪口を言われ続けて感覚が麻痺したのでしょう。
“自分が悪口を言われるような人間”であり
“自分以外の人間で自分を蔑ろにする人間に対しては我慢せずに悪口を言ってもいいこと”を学びました。
“我慢せずに”とは言っても、それまで私は何か我慢をしていたから悪口を言ってこなかった訳ではありませんでした。ただ、彼らに
『我慢しなくて良い』と言われたことがきっかけで、私は
“それまで我慢して悪口を言わなかったこと”にされました。
それから、ですかね。自分の思考基準/フィルターの出口に悪口が加わってしまったのは。」

「同世代の女の子より、同世代の男の子と話が合いました。
同世代の男の子たちの内何人かを“推し”と呼んでちやほやしていました。私に“推し”と呼ばれた人々もそれを分かっていて、私の、私だけのアイドル/偶像として振る舞いました。彼らはこの、普通に過ごしているとつまらなく感じる高校生活に、彩りを与えてくれました。
私の『好き』『かわいい』という言葉に応え続けてくれました。私はそうやって彼らにあしらわれ続け、彼らに彼女が出来ては別れ、出来て…を繰り返すのを見守り続けていました。私の好意は“彼女になりたくて”発しているものではない、という前提をお互いに理解していたから。
だから私は“推し”に彼女が出来てもなおちやほやし続けたし、彼らは彼らで彼女が出来ても私のアイドル/偶像で居続けて、私の好意に応え続けてくれました。」

「進路を決める時期が来ました。
成績は三年間を通して全体の中では良かった方で、法学部の――学科にも余裕で行けます。
でも父親に『簿記資格があるなら商学部に行きなよ』と言われて進路は確定しました。そこに自由はありませんでした。」

「担任の先生から機密文書を渡すような仕草で封筒を渡され、『良かったな、学科で1位の成績だ、返済しなくて良い奨学金が貰えるぞ』と耳元で囁かれました。
行きたくなかった進路でも流石に嬉しくなって、家に持ち帰って父親に報告しました。
でも返ってきたのは『そんなの心配しなくてもよかったのに』という言葉。
『そんなの心配しなくてもよかったのに』
『そんなの心配しなくてもよかったのに』
『そんなの心配しなくてもよかったのに』」

危ない、軌道修正しなければこのまま壊れてしまう。軌道修正しよう。

―――大学に入ってからはどうしたの?

「ああ、楽器を始めました。
父親にお金を払われて資格受験団体に放り込まれたけど、そっちには行きたくなかったから。
高校までは父親の言うとおりに資格の勉強をしてきたけど、何かがぷつっと切れたみたいにどうでもよくなっちゃって。」

「申し訳ないと思いつつも、サークルに打ち込みました。
これまでの反動だったのでしょうか、
“心から打ち込める何か”
“打ち込めば打ち込んだ分のリターンがある/認められる何か”
に私ははまり込み、一方で今まで真面目に取り組んできた学業を疎かにするようになりました。」

「サークルに入って、そこが飲めるか/飲めないかで得られる情報が変わるようなコミュニティーであることを知りました。飲めれば聞き出せる情報を、飲めない人は聞き出せない。だから私は、苦手ながらも飲める側にいたいと思って、“そういうキャラ”になりました。」

「サークルにも高校時代で言うところの“推し”と思える存在を見つけました。
かわいくて、私に優しくしてくれて、アイドル/偶像みたいに振る舞ってくれる、そんな存在を見つけました。
だから私は、彼をちやほやし続けました。高校の時のように、“好き”を全身で表現し続けました。自分みたいな人間は、“好き”をアイドル/偶像に伝え続けてもあしらわれるのは分かっていたから。
それでも、
“彼女になりたくて”表現していた気持ちではありませんでした。
“一番のファンでいたくて”、
“彼女ではなく、友達として一番近いところにいたくて”、昔のようにあしらわれることを期待して、“好き”を表現し続けました。」

「でも……」

―――『でも、』どうしたの?

「でも、私が彼をちやほやし続ける度に、周りの人間は勘違いし続けました。
“私が心からの恋愛感情から彼を好きでいる”と。
“私が彼の彼女になることを望んでいる”と。
勘違いされ続けました。」

「そうなったらもうおしまいで。私みたいに不器用な人間は、周りの望むままに振る舞うしかなくなって。
お酒は弱かったけど、周りが望み、飲む奴だと認識したから飲みました。
昔から“推し”達に対して抱いていた、
“付き合いたい程好きだけど、私なんかと付き合ってくれる訳なんかないから押し込めて隠していた気持ち”
“だからせめて一番のファン/理解者でいたかった気持ち”を、他の人は話の種にするために、私にお酒を注ぎ続け、暴き出しました。
そして暴き出された、隠していた気持ちを種に、私の心を揺さぶり続けました。」

「そうなるともう、私には
“彼に恋する女の子”としての役回りしか求められていなくて。それは勘違いだ、なんて訂正できないまま全ては進んでいって。
誰かと個人的に食事にいってお酒を飲んでも、誰も彼もが私に対して
“彼に恋する女の子”としての振る舞いを期待し、お酒で上手く回らなくなった頭に向かってこう囁きかけるのです、
『いつ告白するの?』
『あんなに仲が良いんだからいけるって』
『(私が当時一番仲良くしていた子)に取られる前にさ、ほら、早く早く』だなんて。
お酒が入った状態でそう言われると、私は相手の望む答えしか返せなくなるのです。相手に失望されたくないから、相手が求める返答を返すのです。」

「責任を取らなくても良い立場だからって、外野の人々は私に対して
“推しに告白すること”と
“(当時一番仲良くしていた子)と対立すること”を要求し続け、煽り立てました。」

「かくして私は
“好きな男の子に告白して振られた女”というパーソナリティーと、
“他者によって人工的に作られた、(当時一番仲良くしていた子)に対する妬み”の感情を獲得しました。
この頃にはもうすっかり人生が楽しくなくなって、楽器にそれまで以上に打ち込みました。それでも誰からも演奏を評価されないことのもどかしさを感じ始め、感じ始めて、あれ?」

?感じ始め、何だ?

―――感じ始めてどうしたの?

「えっと、ごめんなさい、今私は湯船に浸かっています。普通にお風呂に浸かっているだけなのに何だかいつもよりおかしい気がして……」

また損傷部分が飛んだみたいだ。
それにしても、入浴している記憶、だなんて。
浮上加速度が落ち着いてきて、一度に流れ出す記憶が増えてきたとは言っても“そんなに強く残りそうもない/表に出てきそうもない記憶”なのにどうして出て来たのだろう。

―――湯船から上がらないのかい?

「それが……上がれないんです。湯船の給湯設備からどんどんどんどん、お湯じゃない何かが溢れ出してきて」

「溢れ出してきた粘り気のある灰色の液体に身体が絡め取られて」

「どんどん灰色の液体がせり上がってきて」

「胸が、肩が、首が、口が」

「」

「」

「」

何も言わなくなった彼女は、酸素を求める魚のように口をパクパク、パクパクとさせて、虚空を見つめている。

だが、計測器で見る限り脳波/心拍数ともに異常はない。命に別状はない。生きてはいる。

 彼女が倒れた瞬間まで浮上してきたことは分かった。最後の方に“灰色の液体”について述べたことと、その後何も言わなくなったことは、脳出血の原因が―――であることの裏付けにもなる。

 やはり彼女は単なる先天的異常による脳出血で倒れた訳ではなかった。本当の原因は―――だったのだ。

 彼女を現在まで浮上させきった私には、これ以上彼女に関わり合う必要はなくなる。
しかし、浮上させきったと同時に彼女の脳出血は―――が原因であると判明した/してしまったため、私は彼女と今後も関わり続けなければならなくなった。

 今日のリハビリも終わっていることだし、とにかく今は眠って休んでもらおう。
彼女に繋がれた管の1本に、頭痛があっても眠りにつける薬と繋がる物があったはずだ。
私は幾多の管をかき分けてその管を見つけだし、管の途中にある栓を開放して、彼女を眠らせた。

 辛いことがいっぱいあって頭もいっぱいいっぱいだろうけど。
今はとりあえず、お眠りなさい。