生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

無題4話

“ 意識が戻ってからはじめて目を開けた時、目の前にあったのは管、管、管。どうやらそれらは全て私の体に繋がっているようだ。
それ以上に異様だったのが、白以外の色が殆ど排除された景色。潔癖な人間が拘るとこんな部屋になるのだろうな、という漠然とした感想を抱く。

 『そもそもどうして私はこんな所にいるのだろうか。』
そのことに思い至った時、自分がこれまでに経験したことがない程の頭痛に襲われ続けていることにはじめて気が付いた。
痛みを堪えようと顔をしかめながら手を握りしめると、自分の右手が何かを握っていることに気が付く。
握りしめた拍子に作動したそれは何かしらの呼び鈴だったようで、それと連動して頭上にある機械が機械的な甲高い音をひたすら発し始めた。
その甲高い音は痛んだ頭にキンキンと刺さりはじめ、心臓がドクドクと音をたてる。そしてとうとう堪えきれなくなって涙を流してしまった。

 その止め方も分からずに私が喪心していたところ、ベッドの傍らの人影―――今思い出したが、今私が書き込んでいるこのノートをくれた人間だ―――がもぞもぞと動き出して。
「ああ、落ち着いて。今止めるから。」
そう言いながら、頭上の機械に手を伸ばして何らかの操作を施し、不快な音を止めた。そうして、
「頭が痛いんだね。ほら、○○○○○を飲みなさい。」
そう言いながら、その人は私に○○○○○という名前の錠剤を差し出した。聞き覚えの無いカタカナの羅列を、靄がかかった頭は理解するのを拒否したようで、どこか知らない国の言葉のように感じた。
そうして差し出された○○○○○を言われたままにぬるくなった水で飲み下す。何故だか理由は分からないが、そうしていれば頭痛は収まる、ということを身体が理解していたようで、突然の頭痛に伴う動悸はとりあえず収まった。

 その人物がノートをくれた人間なのは覚えている。でも名前は分からない。音が鳴るまで忘れてしまっていたけど、以前
「私はずっとここに座っているから、何かあったら声をかけてね」
と言われていたことを思い出した。
その人はいつも窓側に座っているから、薄暗いこの部屋の中だと逆光で顔すら認識できない。髪の毛は長く、後ろで一つにまとめているように見える。眼鏡をかけているようにも見える。そして、聞こえてくる声質のそれが《女性のものではないこと》が何となく分かる。
おそらく、この人は男性なのだろう。思い切って聞いてみることにした。
「あなたの名前は、何ですか?」
と。

その人―――おそらく彼は、ため息を吐きながらこちらに背を向けて歩きだし、日光の射しこむ窓のカーテンを閉めた。
そして振り返りながら口を開いて。
「前にも言ったと思うけど、忘れてしまったなら仕方がない。忘れないようにそのノートに書いておくといい。
私の、いや。僕の名前は…うん、そうだね、E.T.だ。そっちの方が覚えやすいだろう。」
本気で言ってるのかふざけているのか判別のつかない口調でそう言ってのけた。
 カーテンが閉まったことで逆光もなくなり、彼、E.T.の顔がよく見えるようになった。
口を開いていた時もそうだったが、口を閉じた今でも、彼はにこにこと笑みを浮かべている。何を考えているのかよく分からない人間だ。
ぼさぼさの黒髪を、後ろで一つに結んでいる。その上前髪が軽く片目にかかっていることが、彼を暗い人間のように演出しているが、実際はどうなのか分からない。
予想通り眼鏡をかけていて、その奥の瞳はどこか眠たげだった。
白衣を着ているから、一応医療関係者ではあるのだろう。ただ、白衣と首から上の姿があまりにもチグハグで、すげ替え人形のように見えた。
「ねえねえ、初対面でもないのにそんなにじろじろと僕の方を見てどうしたの?もしかして僕のこと忘れてた?ショックだなぁ。」
そう言って彼は、言うほどショックを受けていないような様子で再び口を開いた。
あまりの調子の良さにつられて思わず
「はい、覚えてませんでした。」
と言ってしまう程に、軽く、何も考えていないような口調だった。
しかし、いくら何でもこんなに失礼なこともないだろう、申し訳ない、と思って謝ろうと息を吸い込んだちょうどその時、彼に
「いいんだ、そういう病気なのは分かっているから。それよりも君が“それらしく”喋れるようになったことが嬉しいよ。」
と言われて言い掛けた言葉を飲み込んだ。
ここはどこ―――多分病院だろう、で、
目の前にいる人は誰―――E.T.と名乗ったからE.T.と呼ぶことにする、までは理解した。
理解したが、自分が何故ここにいるのか、何故記憶に空白があるのか、が分からない。

「その調子だと、『君の親類』を名乗る女性が会いに来てくれたことも覚えてない?」
いやそれは、何となく、本当にぼんやりとではあるが嬉しかったから覚えている。その女性と自分が話しているところを、天井から見つめていた時の景色を覚えている。
「いえ、覚えています。お茶を置いていってくれたことも、何となく。」
それを聞きながら、彼は顎に手を添えてぶつぶつと何かを呟き始めた。
よく聞き取れないけど、「感情の伴う…」とか「自らのよく知る…」とか言っているのは聞こえた。でも、それがどんな意味を持って、どんな文脈で使われているのかは分からない。
ただ何となく、本当に何となくだけど、その姿を見て(怖いな)と思ってしまった。何を言っているかが分からないからなのか、彼が呟いている様が恐ろしく感じられたのか、何故なのか、分からない。何となく、(怖いな)と思った。

 先程から頭に浮かぶ雑多な疑問に対し、明確な解答が一向に得られない。E.T.から得られた答えすらも、自分がこうなっている状況を説明するに足る解答にはならなかった。
その理由だけはぼんやりとだが推測できる。
目が覚めてから見る景色に、私の知る人間がひとりもいないことが関係しているのだと思う。味方がいないような気にさえなっている。
味方、という言葉が想起させた唯一無二の親友を思い浮かべた時、そういえば今日は何月何日の何時なのだろうか、まだ夏期休暇期間ではなかった筈だが。という思考がふつふつとまだ○○○○○が効かずに痛む頭から沸き上がってきた。

 携帯。
そうだ、携帯を見れば分かる筈だ。
Twitterを見れば友人の状況だって分かるに違いない。そう思い、いつもなら枕元に置いてある筈の携帯を手探りで探す。それでも見付からない。
カサカサと蟲のように手を動かしていたら、何かしらの計器に異常が発生してしまったようで、ピーピーと呼び鈴のように、さっきとは違う種類の甲高い音が響いた。
「じっとしていて欲しいんだけどな。まあ仕方がないか、自分の置かれた状況が分からない上に何も思い出せない。
じっとしている方が無理な話か。」
呆れながら計器の音を止めるE.T.。怒られることを想像していただけに、拍子抜けしてしまった。
「えーと、携帯だろう?ほら、ここにある。それもノートに書いておくんだ。」
そう言って私に携帯を手渡してくれた。
面倒に感じたが、他にやることもない。言われるがままにノートに書き込む。
「すいません、ありがとうございます。」
礼を言いながら、いつもの手順で画面ロックを解除し、Twitterを開く。ついでにそこに表示されていた日付を確認する。したが……。
8月2日?試験期間ではないか。
試験を受けなければならない筈だ。
くそ。どういう訳か、七月の中旬、試験対策を始めた頃以降の記憶がない。
酒を飲んだにしたってここまで長期間記憶がなくなることもないだろうに。
そこでふと、重たい脳から排泄をしろとの指令が下りてきた。しょうがない、トイレに行ってスッキリしてから考えよう。
と、ベッドから起き上がろうとした所ではじめてずっとまとわりついてきた違和感の正体に気がつく。
上手く起き上がれないのだ。
左手は知らない内に三角巾で吊されていて力が入らない。
左足すら引き寄せられない。”