生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の備忘録

“もうやめてしまった和楽器”との向き合い方

 自分でも驚いているのだけれど、私はやむを得ず辞めた和楽器に対して
“未練”はないけど未だに
“好意的な感情”がある。

 古典のルーツや歌い方、弾き方、奏者によって異なる音色。
そういった、何と表現すれば正しいのかは分からないけど、あえて言葉にするとすれば
「自分の思い通りにいかないところ、ままならないところ、気まぐれさを許容する懐の広さ」という“和楽器の在り方”に対して、私は今でも好意的な感情を抱いている。
 でも同時に、それらを耳にすると
「悪寒とともに蘇ってくるトラウマ/暗い感情」も私の中にあるのだ。
 そういう意味で言えば、
もしかしたら冒頭の“未練”はまだ自分の中にある、と言えるかもしれない。
自分がやりたくてやりたくて仕方がなくて、でも出来なかったことを思い出してしまうから、と言えるかもしれない。

 でもそういった、仮定まみれの思考の中でひとつ確かに言えるのは
「私は和楽器に対して“好意的な感情”を抱いているからこそ、それらに対して敬意を表したいと思っていて、“トラウマ/暗い感情”を負い目に感じている。
だから、その負い目を蘇らせないように、自らそれらを聴かないように心がけている」
ということらしい。

 それらに対する“好意的な感情”を守るために、それらを“聴きたいという欲求”を抑えつけて、“トラウマ/暗い感情”を寄せ付けないようにしている。
 それらを今も出来ている彼(女)らに対して“トラウマ/暗い感情から来る暗い主張”を言い放ってしまわないようにしている。

 それらを聴いてしまうと、その瞬間蘇ってこないとも限らないから、意識して聴かないようにしている。
意図せずしてその音───それら自体が発する音には限らず、それらというコンテンツが発する足音───聞こえてきたら、意識して意識からシャットアウトする。

 そういうものが、今不器用な自分にも出来る、弾けなくなった今でもなお好きな/好きな気持ちを切り捨てられないような“和楽器に対する敬意を表するため”の向き合い方だと信じている。