生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

忙しくなったら、こんな遊んでもいられなくなるのかな

今日は朝一で病院行って、
図書館に寄って原稿を読んで、
また別の病院に行って、
その後立川に行ってウィンストンチャーチル観てその後続けて娼年を観ました。
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出不精だからって一度外に出たらついでに色々こなすのやめたいです。
楽しかったけど、(病院以外の)人に会う予定ではなかったから服装適当だし眼鏡でマスクだしでせっかく取り戻した人間性捨ててました。
身軽でいい&好きな日に行けていいんですけどね。
このままこういう生活を続けていると今以上に人と喋れなくなりそうです。

病院~病院の諸々は別に書くほどのことでもないのでとりあえず置いといて、今日観た映画のこと書きますね。

ぶっちゃけると今日観たどちらも自分が普段観る系統の映画ではないです。いつもはもっと頭すっからかんにして観られる映画ばっかり観てます。
前者は何だかちょっと長くなりそうなので、“本当にいつもは観ない”類の『娼年』について先に書いておきます。

 どエロい。いや、R-18だから当然だし、肝心な部分はアニメに射し込む謎光のように隠されてはいたんですけど、それでも予想よりもどエロかった。“G”がついていない方のR-18映画はなんやかんや初見(記憶にある限りにおいては)だったので面食らってしまいました。
というかまず松坂桃李の顔がエロい、物憂げな顔がどエロい。
この作品に出てきた、
シャツの上の方のボタン開けっ広げホストよりも、
黒シャツを上までボタンを止めていた松坂桃李の方が背徳感マシマシで(この描写わかってるな)って思いました。隠す系エロスはすばらです、すばら。
本当にこういう系統の映画は普段観ない人間なので
(は~~いや~~エロいなぁ~~)みたいなアホみたいな感想しか浮かばない状態で鑑賞していたんですけど、それでも何かそれっぽい感想を書くとすれば、
「何でもない、普通の人の皮を被った人間でも、内側には色んな性癖だったり苦悩だったりを押し込めて隠して生きてるんだなぁエロい」でした。結局エロいって書いてしまった。
別にこれはネタバレでも何でもないので書いちゃうと、松坂桃李は娼夫役で、色々なお客さんに買われるんですよ。
でもそのお客さんもお客さんで様々で、ただセックスしたい人もいれば、そうじゃない人もいて。そのお客さんとの関係を通して色々な人間模様を描いていて、人間ドラマとしてはよく出来た作品だな、と思いました。
映画館で大画面/高音質で観る上質の文学であり、(俗っぽい表現をすれば)AVであり。
これはいつも観るジャンルの邦画以外では珍しく、自分の中の「人にオススメしたいと思える映画」にカテゴライズされたんですけど、何せR-18。人に勧めづらい……。でも観てほしい……。
松坂桃李がどエロいから観て(雑)。

そしてウィンストン・チャーチル
邦題クッッッソだっせぇなと思って忌避してたんですけど、以前観た映画に関係するとのことで渋々観に行きました。
いや、もう既に自分の記憶からは邦題がどんなものだったかについては抹消されたんですけど、邦題に関しては(クソダサかったこと)しか覚えてないです。本当にああいうの、観る気失せるからやめてほしい。機会損失も大きい気がする。

まあとにかく、以前『ダンケルク』を観たことがある人間にはドンピシャな話でした。
ダンケルク』はダイナモ作戦の現場、現場にいる兵士や町人を描いた作品でしたが、
『ウィンストン以下略』はそれと同時代の上層部を描いた作品。当然「ダンケルク」も出てきて、「どうにか逃がすぞ!」「小型船を集めるぞ!」と“上層部”が奮闘する視点。
国王の手の甲にチャーチルがキスした時さりげなく国王が背中でキスされたところ吹いてたのは細かいなと思いました(そういうの好き)。
町のモブにアビゲイルさんいておってなった。おっ。
すごい眠いからまた後で追記するかもしれないけどとりあえず。

『fury road』でマックス役として出てきたトム・ハーディ(すき)(人の目見て話して)(ちゃんとこっち見て)が
ダンケルク』で空のファリア(結構かっこいい)役として出てきてうわーしんどいうわーマックスーーうーーってなってからの
『ウィンストンチャーチル』で上層部こうなってたのねうわーーーそら大変だわーーー
の流れですからね、私しんどい。
とにかくこの作品群をこの流れで、しかも自分が普通に生きてる間に劇場で、それぞれフルスペック(音やスクリーンの比率等)で全て観ることができたのは割と幸運なのでは、という感じです。
とは言っても、『ウィンストンチャーチル』は『ダンケルク』が好きならイコール好きになれる作品、という訳でもないのは注意した方がいいかもしれません。
ダンケルク』は民族的で小汚くて、泥臭くて、臨場感がある、軍事的なガジェットが輝く作品で、
『ウィンストンチャーチル』は政治的で小綺麗で、泥臭くない、(良くない言い方かもしれないけど)芝居がかっていて、チャーチル個人の人間性にスポットをあてた作品だから。
私は前者が大好きだったから、後者を観ながらもあー、今このシーンの裏ではダンケルクであーってなってたけど、そういうのがないとつらい、と思うレベルには方向性が違う作品だと考えるといいです。
『fury road』『ダンケルク』『ウィンストンチャーチル』の流れはいいぞ、というマーケティングでした。
眠い。おやすみなさい。