生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の備忘録

無題13話

“ 中程快適ではない外でだって、酒くらい飲める───酩酊できる、と言った方が正確かもしれないが。
でも、外での飲酒/酩酊は、中のそれよりシステマチックで、無機質なものだ。人間の前腕部にあたる部分にコードを繋ぎ、そこからCPUに作用する「ウイルス」を注入し、束の間のトリップ状態を味わうだけの物。
外は中より時代遅れなガジェットで構成されているが、意外にも前時代的な「飲酒行為」を行えるのは外ではなく中なのである。
だから、私は彼を中に誘い出した/誘い込んだ。昔ながらのコミュニケーション、それこそ「腹を割って話す」にはそれが適した手段のように思えたから。

 仕事を終え、ハクスリーを読みながら暇を潰して、待ち合わせの時間を目掛けて中に潜った時、彼はもう既に会社の前にいた。
律儀な男だ。彼はその顔の造りこそ外と同じ物だったが、首から下に関しては、外で着ていたラフなパーカー、Gパン姿ではなく、スーツ姿に変わっていた。きっと「そっちの方が高く《評価》される」から。二つの意味で。
一方私はと言えば、大好きな色の大好きなワンピースを着て、顔の造りも変えてきた。中では「こうありたいという自分の姿」にさえなれるのだから、《評価》なんかを気にした、好きでもない格好はしたくない。
外の私は「仕事をするための私」。
そして中の私は「可愛くありたい私」。
だから顔を構成するパーツだって、アッシュのベースにライトブルーのインナーカラー、ぱっちり二重で瞳は虎と同じ色、笑えばえくぼが出来る顔、逆三角形の輪郭にする。服装だって、マスタード色でふんわりとしたワンピースをチョイスしてきた。耳たぶはピアスの矢で貫かれている。
でも、今私の目の前にいる彼は知っている。外と中を使い分けたい、と思う私のことを知っている。
だからこんな私を見ても、驚かない。
その反応を見る度に(次は彼の驚くような組み合わせにしてこようかな)とも思うけど、それも見透かされているのか、いつも彼はただ
「こんばんは、お疲れ様です」と言って私を出迎えてくれる。

外で私は
「いいお店があるの」と言っていたが、案内する店はいつもと変わらない場所。
待ち合わせ場所から体感徒歩時間5分の所にある、個人経営の小さな小さな店。
カウンターにたった7席しかない、こじんまりとした、でも、私のお気に入りの店。
マスターの奥さんが、台所と表現した方がよさそうな厨房で小気味良いリズムで具材を切りながら、必要とあらば話しかけ、必要がなければ話しかけてこない、居心地のいいお店。
そこに入った私と彼は、一番奥の座席に二人並んで腰掛けて、いつもの燻製ベーコンと日本酒───外ではコードを繋いで摂取していたウイルスを「日本酒」に擬態させた飲料だ───を2合注文する。

そして私はこう切り出すのだ。
「最近どう?」と。
なんて曖昧な質問なのだろう、と毎回思うけど、彼はいつもその意図を汲み取って返事を寄越してくれる。
「仕事の方は順調ですよ」
「あら、そうかしら」先刻感じた違和感を、彼は感じていないらしかった。
「まぁいいわ。『仕事の方は』ってことは順調じゃないことが他に何かあるの?」
問いかけながらも/応えながらも、互いに酒は進む。燻製ベーコンの程良い塩気と、高揚した気分と、既に体内に溜まった依存性のあるウイルスとが、酒の形をしたウイルスに手を伸ばさせる。
「実は最近彼女と上手くいってなくて……」
酩酊状態の彼は、少し口を滑らせてそんなことを言った。でも私は知っていた/知っている。彼が度々彼女と不和になることを。不和になった時に見せる予兆を。
通常時の彼は、私以上に点検対象の違和感に敏感で、私以上に目敏く見つけてくる。だから、今回彼からその違和感について何も言われなければきっとそれは「通常時の彼じゃないから」だろうと踏んでいた。結果はさっき述べた通り、「通常時の彼じゃない」。
彼が通常時の彼であれば、普通の先輩後輩のようにただただおいしいお酒と料理を楽しみ、愚痴を言い合い解散するつもりだった。
でも、私は今回のように彼が「通常時の彼じゃない」場合はいつも、こう提案することにしている。
「ねぇ、ちょっと外をぶらつかない?」と。
「涼んで頭を冷やそうよ」と。
そう言うと彼はほぼ毎回提案に乗ってくる。彼の話した、彼女との不和が程度の軽い物でない限りは……とは言っても彼女との不和が程度の軽かった試しなんてないのだけれど。
「……そっすね」と軽い調子で/軽い調子を装って乗ってくる。
それからはもう、決まりきったルーチンをこなすだけ。いつもの店の4軒隣にある場所に、二人だけの部屋を取って。
いつもシャワーは浴びない。そんなことをしなくても、中のアバターは常に清潔に保たれているし、シャワーから放たれる水を模した情報は、互いの背徳感を増幅させるだけだから。いつだったか、シャワーを浴びてから事に及ぼうとしたことがある。その時はお互いにウイルスの呪縛から解放されて、朝まで何もせず、そのまま外に帰った。

 ベッドの上で接吻をしている時に甦ってくる記憶、というものがある。今目の前で接吻をしている相手には申し訳ないが、これは生理現象だし、言わなければ彼には分からないことだし。言わない限りは許して欲しい。
 別に大したこともない記憶だ。ただの、私が初めて唇を他人の唇と合わせた時の記憶だ。
相手は先輩で、彼女もいた。自分はその人のことが好きだったのか、と問われれば、「好きではなかった、ただの先輩の中の一人だった」としか答えようがない。
そんな、つまらない記憶。でもそんなつまらない記憶が鮮烈に/強烈に頭に刻み込まれているのは、きっとそれが「初めて他人の領域を侵犯し/された記憶」だからなのだろう。
その人とはそれ以上のことは何もしていない。その先の、私の壁を侵犯したのは別の人だった。

 今私の目の前で腰を振る彼の顔はぼやけている。いつもぼやけている。
視力は中へ来た時に自動補正されている筈だから、視力の問題という訳でもなさそうだ。これは私の記憶がそうさせているのかもしれない。ぼやける理由は分からないけど、私はいつもそのぼやけた顔に、好きな顔を当てはめて満足している。彼は彼女との不和からくるストレスを発散できるし、私は好きな顔の男と出来る。これがwin-winの関係というやつなのだろう。

 事を終えた私たちは、酩酊状態と見切りをつける意味を込めて、シャワーを浴びる。「普通」に戻る。

そうして、何事もなかったかのような顔をして、外へ帰る。やっぱりこれが、いつもの決まりきったルーチンだ。