生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

自分には何もない、という感覚からくるのであろう、“誰からも必要とされていない”ような感覚

 Jack in The BOX幕張公演で心臓をキューピッドの矢でハリネズミのごとく射抜かれまくったこじかです。

 ジンセイイチドキリのために手拍子がんばります~って手紙に書いてたら予想が当たって満足でした。



 でもステージ上でキラキラ輝く江口くんを見ていて、そしてもうひとつのソロ曲『Catch a Break』を思い出して。(私は昔から、こういう形でしか人を好きになることができない人間なんだな)とふと思ってしまいました。

 だってやっぱり私には何もなくて。誰かに必要とされるだけの何かを何も持っていなくて。
だから私は「最初から全てを諦めた恋をする」のです。「振り向かれることなんて有り得ない、ただただ盲目になれる恋をする」のです。



 私もああなりたい、と上辺だけ「誰かに必要とされている人」の真似をしてきました。でもその全ては失敗に終わりました。

 この誰にも必要とされていないような感覚、というのが本当に恐ろしくて、認識する度に世界に置いて行かれたような気持ちになるんです。
誰かに必要とされようと思って率先して仕事をこなせばただ単に利用されるだけの存在になる始末で。

 絶対に振り向かれないと分かっているから、こんな自分からは考えられないくらい積極的なアプローチをする。そして軽く流される。もうそれは風物詩のように、おきまりの芸のようになっていました。
だから、なのでしょう。
好きでない人に対してさえ軽く流さないような優しい人に出会ってしまって私の針が狂ったのは。



 今思えば本当につらい恋でした、自分を尊重してくれる人に恋をしたのなんて初めてだったから。
私が「かっこいい!」と言えば「知ってる」と返されるような、
「好き!」と言えば「はいはい」と返されるような、
自分が今まで返されてきた返事が返ってこない相手なんて初めてだったから。

 でも私は知っていました、その人が違う人を好いているということを。しかもその相手は私の友達だということも。
だから私は先回りをしてその友達に、その優しい友達に恋愛相談をしたのです。そうすれば優しいその友達は私を応援し、励ましてくれるだろうと思ったから。
卑怯でしょう?
今なら自分でも分かっていますとも、それが卑怯だったということを。
でも当時は何も分かっていませんでした、無意識にその卑怯な行動を取っていたのです。
友達にも、好きな人にも、“必要とされない存在”にはなりたくなかったからだと思います。
要するにワガママで、欲張りだったのです。

 今思えば、私は彼のことを本当に恋愛対象として好いていた訳ではなかったのでしょう。ただただ、いつも通りのアプローチを仕掛けたら想定外のフィードバックが返ってきて、
混乱してしまって、
意地になってしまったのでしょう。
いつもの自分を取り戻すために、「彼を好いている自分」という皮を被ったのでしょう。キャラとして、彼を好いていたのだと思います。そうしていれば、そういうキャラとして/エンタメとして自分を求められるから。
思えばそれは友達にも彼にも失礼な行為で、そんなんだから私はいつまでもこんな人間でしかいられないのだと思います。



 何だかすごい横道に逸れてしまったような気がしますが、要は「私は誰からも必要とされていなくて、この世界にいてもいなくてもいいのでは、というかむしろいない方がいいのではないかという感覚」があるのです。

 いやいやそんなことはない、少なくとも親は無償の愛を注ぎ、お前を必要とするだろう、と言われるのでしょうか?
でも、そう指摘されたとしたら私はこう返すでしょう、
「父親から『お前が家を出て行ってくれれば離婚して再婚出来るのに』と、母親から『私のことはいないものとして考えてください』と言われる私が、親から必要とされていると言えるのか?」と。

 例えば私がご飯を茶碗によそう時、麻痺した左手に茶碗を持たせなければなりません。右手でしゃもじを握るから。そして左手は茶碗を持っていることを感覚として認識しません。結果どうなるか?
左手に持った茶碗は、その中にご飯がよそわれているかどうかを問わず私の手からこぼれ落ちるのです。
ただそれだけ、ただ茶碗を落としただけで、私は(やっぱり必要とされていないんじゃないか)と思ってしまう。茶碗にすら見放されている、みたいな感覚です。



 そんな、「誰からも/何からも必要とされていないような感覚」は積もり積もって、江口さんを見る時でさえ私に暗い感情を抱かせるのです。「どんなに彼を見ていても、頑張って追いかけても決して彼が私を認識することはないのだ」と。
当たり前なことなのに、それが悲しく思えてしまう。江口さんなんか知らなければよかった、と。こんな素敵な人がいるなんて知らなければよかった、と。

 アイドル的な人を追いかけていて、その人に対して「振り向いてほしい」という欲を抱いてしまった時点で私はファンとして失格なのでしょう。そしてその「ファンとして失格」だという自覚は、必要とされていない、どころか「もはや邪魔なのでは」という考えに結びついてしまうのです。
でも私は江口さんから目を逸らすことが出来ない、あの眩い輝きから目を離せない。
一度知ってしまったから。
人一倍頑張っていて、努力を欠かさない彼を。
あのキラキラとした外見と明るいキャラクターからは想像もできないような苦労を内に秘めている彼を。

 だから私は今回も、またいつものように「絶対に振り向かれないと分かっているからこそ一方的に注ぎ込むことの出来る愛」を自分の好きな人───ここでは江口さんですが───に注ぐのです。
報われない、どころか近付くことすら出来ないと分かっていながら注ぐのです。

 そして満足するのでしょう、愛を注いでも振り向かれない自分、という立ち位置に。悲劇のヒロイン的立ち位置に。
そうしている限り、私は幸せにはなれないと分かっていながらも
同時に、オーウェル二重思考のように
そうしていれば、私は幸せになれるのだろうと考えるのでしょう。

 自己矛盾を抱えながら、地べたを這いずって生きていくのでしょう。



 これこそ長ーーー!!!だよ、何だこれ、もう。