生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

もう何も忘れたくない人と、何もかもを忘れたい人の話

 私は忘れっぽい。
それ故に大切な思い出もそれ程大切ではない思い出も、能動的に学んだことも受動的に学んだことも、話したことも話していないことも、分け隔て無く忘れる。
だからもう、何も忘れたくないと思う。

 私は頭がおかしい。
それ故に人とうまく関われない。大切な友達と、どう関わればいいのかすら分からない。
最初は誰でも初対面。だから何の気兼ねもなく関われる。
だけど二回目以降は誰でも顔見知り。だから積み上げてきた自分の印象に縛られる、苦しめられる。
だからもう、何もかもを忘れて私ではない私として生きたいと思う。

 前者はつらい。自分に関わる全てを書き留めておくことなど不可能だから。
 後者はつらい。長年生きてきたそれ自身の人生そのものが、自身を縛り続けるから。


 私は私の「好き」が分からない。
それ故に「好き」を語ることができない。
うまく伝えられないし、伝えられたとして反論されるとたちまち崩壊してしまう。
「好き」によるコミュニケーションに不慣れなのだ。昔から家でも学校でも、「嫌い」に閉じ込められてきた。嫌われないためにどう行動すればいいかだけを学んできて、自分の「好き」を押し込めてきた。
そこに自分が存在する余地はなかった。許されなかった。
だからもう、何も嫌いになりたくない。何かを好きだと自信を持って言えるようになりたい。

 私は6年程、時により程度の違いはあれど常に鬱の中に閉じ込められている。
それ故に何もせずに楽しい、と感じられることにすら引け目を感じる。
楽しい、の後に苦難が待ちかまえているような気がして。
だから何もかも楽しくないと思う。その瞬間、素直に楽しいと思えていることすら、その後に待ちかまえている苦難を想起するとたちまち楽しくなくなる。
だからもう、鬱の足枷から解放されて楽しいことを素直に楽しみたい。

 前者はつらい。自身の脳が、もう「嫌い」用に調整されきってしまっているから。
 後者はつらい。薬に頼り続けなければ、その足枷は外れないから。「好き」すら「嫌い」になってしまうから。


 だから、だから。
私は色んな人を羨ましいと思う。憧れる。自身もそうありたいと願う。
いくら足掻いてもそうなれない自身を憎んでいる。
いくら自分の「好き」を語っても馬鹿にされることしかない実家という環境を憎んでいる。

 そして、そして。
そんなどうしようもない自分をどうにかするための環境を探し続けても、未だに見つかってすらいないということに絶望している。