生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

何かすごい嫌な夢を見た気がするけどとりあえず起床

 おはようございます。
何かすごいまとわりつくような汗をかいている、嫌な夢を見た記憶もなんとなくある。
でもとりあえず、おはようございます。

 何か身体から他人のにおいがする気もする。何だか少し昔に戻った感じです。

 明日はテストで、そして演習もある。グラブルはイベント中だけどやる気が起きない。

 あ、今気が付いたけど、左足の膝擦りむいてる。この記憶はある。昨日盛大に転んだよね、私。

 「私は誰々の物」と言ってみたいな、とうっすらと思い。私は私の物ですらなく、誰の物でもないことに思い至りました。

 「私の心を射止めた英雄よ」云々。「今この時よりこの身は貴方と共に」云々。バーフバリは意外と求愛表現がド直球でわかりやすくていいですね。

 うん、何か、長文を書こうとしても、Twitterくらいの分量しか書けなくなってる。思考がぶつ切れになっている。連続した思考/自我を保てない。

 被害妄想かもしれないけど、やっぱり昔から今に至るまで、誰もが私を見下して、誰もが私を馬鹿にして、蔑ろにしている気になることがある。

 あるいは誰も私なんか気にも留めていないような、感覚。お前なんていてもいなくても自分の人生は変わらないぞ、と、色んな人が思っているかのように感じられる。

Cell.
Interlinked.
Cell.
Interlinked, too.

お前は主人公じゃないんだ、Kよ。いや、この場合はK.Kか?どちらにせよ、お前は主人公ではない。

 ふと、前に友人から、「昔講義で聞いた、愛と恋の定義の違いに疑問を感じる」と聞いたことを思い出す。
“こい〔こひ〕【恋】
1 特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「恋に落ちる」「恋に破れる」
2 土地・植物・季節などに思いを寄せること。
「明日香川川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき―にあらなくに」〈万・三二五〉
[補説]書名別項。→恋”
“あい【愛】
1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「愛を注ぐ」
2 (性愛の対象として)特定の人をいとしいと思う心。互いに相手を慕う情。恋。「愛が芽生える」
3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する愛」
4 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への愛」
キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
6 仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
[用法]愛・愛情――「親と子の愛(愛情)」「夫の妻に対する愛(愛情)」などでは、相通じて用いられる。◇「愛」は、「国家への愛」など、広く抽象的な対象にも向けられる。◇「愛情」は、主に肉親や恋人に対して用いられ、「幼なじみにあわい愛情を抱きはじめた」などという。◇類似の語に「情愛」がある。「情愛」は「愛情」と同じく肉親や恋人間の感情を表すが、「絶ちがたい母子の情愛」のように、「愛情」よりも思いやる心が具体的である。”
愛の第2項で“恋。”と言ってて笑ってしまったんですが、辞書的にはこうらしいですよ。
ぶっちゃけ、どちらも欲望なのでは?感。
どんなお題目を掲げようが、それは恋でも愛でも欲望であることに代わりはないのでは?

 恋でも愛でも、それは欲望なのだと言うのなら、どんな恋も愛も欲望を綺麗な言葉で言い換えただけじゃないか。

 今の私が抱えている気持ちは何だろう。恋なのか、愛なのか、それとも別の何かなのか。
未熟だから恋なのか。

 心の中の誰かが言う。
「あなたには居場所があっていいね」
「あなたにはあなたを想ってくれる人がいていいね」
「あなたには……

私の持っていない何もかもがあっていいね」と。

 でもその誰かを、私は喉元で押し返さなければならない。私がせめて私でいるために。私ですらいられなくならないように。

 結局お前には何もないのだと、喉元でその誰かに教えてやらねばならぬ。
泣きそうになっても、実際に涙が出てきても。それを自覚させねばならぬ。

 目があることで周りの人間の幸福を認識し、相対的に自分の不幸さを感じてしまうのなら、私の目玉もグロスター伯のように潰されるべきであろう。
 耳があることで周りの人間の言葉を聞き、それに追い詰められてしまうのなら、私の鼓膜は破られるべきであろう。
 嗅覚があることで他人のにおいを覚え、どこかでそれを感じる度に記憶が思い起こされてしまうのならば、嗅覚なんぞは焼かれてしまうべきであろう。

 自分は母親から美貌も知性も受け継げず、ただ他人の温もりへの依存症のみを受け継いだ。
父親からは楽観主義も体力も受け継げず、ただ他人への嫉妬心のみを受け継いだ。

 そして二人からは、生涯抱えることになる、半身不随を受け継いだ。ありがとう、大事にするよ、死ぬ時までは。

 私は芋虫にすらなれなかった、中途半端な虫けらだ。感覚器官の正常さが、私を追い詰める。何も感じられなければよかったのに。不感症ならよかったのに。

 自分でも驚いているが、これを書いている今の自分は泣いていない。薬が効いてきたのだろう。
自分の中で考えて考えて、何かを生み出そうとするのは自分の身の切り売りだ、といったことを、たらればさんが言っていた記憶がある。だからこれもやはり、身の切り売りなのだろう。

 私は自分の身を削いで売っている。他人のためというよりは、ほとんど自傷行為に近い。他人に削いだ身を見せ付けて、さらけ出して、落ちられるところまで落ちようとしている。
戻れない底まで、落ちきってしまおうとしている。

 そうすることで、自分をさらに追い詰めて、死ぬしかない、というところまで追いやろうとしている。



 というか何で生きているの?お前。