生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

「悪役」考

 「悪役」と言っても色んな人(あるいは人外のもの)がいる。そしてそれらは往々にして主役/正義を引き立てるために消費される。悪事を働く理由さえ無視されて、正義に酔いしれるための燃料として燃やされる。

 ばいきんまん、というキャラクターがいる。日本に生まれ育った人であれば一度くらいは見たことがあるだろう、という程度には知名度の高いキャラクターだ。
 私もそこまであのアニメに詳しいわけではないから、偉そうなことを言える立場でもないが、彼(彼女?というかそれ?)自体が、ばい菌であることは知っている。
そして、あの世界は意思と言葉を持った食品と、言葉を持った動物のために存在していて、ばい菌は存在そのものが悪と見なされる世界観で構成されていることも知っている。
ばいきんまんは存在しているだけで「悪」なのだ。作中でそれがしている悪事は全て、それとその種族を存続させるために行っているように思う。生きるための食糧として食品を略奪する、侵す。
存在しているだけで、では言葉足らずならこう言える。“ただ、生存本能に従って存在し続けようと努力するだけで”それは悪と見なされるのだ。

 バラーラデーヴァ、というキャラクターがいる。ぶっちゃけると(ある界隈に住んでない限り)そこまで知名度は高くないキャラクターではある。だけど彼も、いわゆる「悪役」である。悪逆非道の独裁者、未亡人を縛る鎖に興奮する異常者、狡猾、彼を形容する後ろ向きな言葉はたくさんある。
 けれど彼は、前者のばいきんまんのように、存在しているだけで悪な訳ではなかった。彼は生まれた時には主人公、つまり物語で語られている正義側だった。
彼が物語における「現在」で悪役の立場に立たされていたのは、彼自身の責任ではない。彼の父の成し得なかった夢を、彼の父が用意した道で追わされた結果としてああなってしまったのだ。
一度視聴しただけでは、彼は単なる「ラスボス」「生まれながらの悪」「主人公とはじめから違う道を歩んできたキャラクター」と認識されるだろう。私も実際そう認識していた。プラバース(主人公を演じる役者)尊い……とか抜かしていた。
けれど二回目三回目、AN絶叫……と視聴を重ねるにつれ、彼も悲劇の人物であること、さらに大きな悪により形成された悪であることなどが読みとれてきた。生まれながらの善人も、環境次第で悪人にされることを読みとり、彼のことも考えると素直に正義サイドで酔いしれることができなくなった。

 なんとなくで書きはじめたこの「悪役」考であるが、つまり何が言いたいかと言えば、何だろう。ええと、いったん小休止。

 ええと、そうだ、悪として育ってきたキャラクターを考えると、「正義」にとっての正義は「正義」で悪は「悪」、「悪」にとっての正義は「悪」で悪は「正義」ということだ。
悪役にとって、悪を為すことは正義である、ということ。

 そこまで大きな話にしなくとも、もう少し身近なスケールに置き換えるとこうだ、「価値観が世界にとっての“悪”に染まりきっている人間は、自分の思う正しいことを為そうとしても、世界にとってその行為は“悪”でしかない」…まだ大きい?大きいな…。ううむ、「何をやっても駄目な人間」は、その人自身が認識している「正しさ」のベクトルが、世間様とはずれている(だから何をやっても駄目)、かな。

 それ自身が正しいと思ってやっていることが、世間/その世界の価値観次第で悪に転ずる現象、怖くないですか?私考えててめっちゃ怖いなと思ったんですけど。
「正しさ」は恒久的ではないことを、私たちは歴史から学んできた。また、そのズレを第三者視点で楽しみたくてディストピア小説を読んだりする。
でも冷静に考えて、「いつ自分の考えている、自分の拠り所にしている“正しさ”のベクトルが変わっていくか分からない」ということはやっぱり怖い。
 物語の悪役、特にここで語ったバラーラデーヴァはそのズレによって“善を為し、理想的な王として君臨すべき立場”から悪役にされたのだ、怖い、怖い。

 そうして思った、自分にとっての正しさが時に他人にとっての迷惑(悪)になるのは、自分が世間の価値観の変遷に追いつけていないからだ、と。いつまでも自分が停滞しているからだ、と。
停滞している人間は、どれだけ正しいことを為そうとも、悪(迷惑)になることがある。自分自身を省みて、自分が正しいと思ってやっていることが全て無駄に終わるのは、やはり自分が停滞していて「遅れている」からだ、と。そう思った。