生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

色の話

 このブログを始めた頃かな。「きみの書く文章には色がない」「小説を書きたいのならもっと色彩豊かな情景を描くべきだ」と、言われたことがある。

 それをふと思い出して、文章の色って何だろう、と考えていた。
まずは自分が好むコンテンツを構成する「色」について考えてみた。
黒、朱殷、錆色、鼠色……大体その辺りの色で完結している物が多い。まぁ、ハヤカワSFが好きな時点でお察しなのだけれど。
あれ、色彩豊かな文章って何なんだろう。自分が書きたい、書ける物はその色なのかな、と思った。
 違うだろう。違うはずだ。
それを言った人の真意は分からないが、きっとその人は明るい、未来ある、前向きな作品を求めていたのだろう。
けれど、私にはそういった色は書けない。描けない。だって、私の世界はそんな色で構成されていないのだから。
目に見える/目が映像として認識する色の話ではない。目から取り込んだ映像は、信号として体内のバイパスを通って脳に送られる。問題はその脳内にあるスクリーンに、どういう世界が映し出されているか、なのだ。
そして私の脳内のスクリーンには、いつも白黒の映像が映し出されている。
白は光、あるいはそれでしか表現できない物を表している。
黒は、ただ色がないから、とか気持ちが沈んでいるから、とかじゃない。色々な物を含んだ末の、黒を表している。

 ひとまずここでは、光の話は置いておく。私にとっての光は白一色で、それも何か他の色の光を含んだ白ではないから。
色の話をする。絵の具とかの方の、色の話。
実のところ、私の頭の中には色々な絵の具がある。小さい頃から買い与えられてきた様々な種類の絵の具が、まだそこに残っている。色に溢れている。
色はある。だが、ある、といっても“ありすぎる”のだ。色が。
あなたは覚えているだろうか。絵の具を全部混ぜると黒になることを。よほど白の力が強くない限り、白を入れても限りなく黒に近い色になることを。
そう、今の私はまさにそういう状態だ。本棚の箱の中の液体にはそれぞれ色が付いている。当然だ、記憶と言っても一言では片付けられない。赤い記憶、青い記憶、黄色い記憶、空色の記憶……とにかく、いっぱいある。
そしてそれらは前述の通り、「漏れ出て」くる。無秩序に、不条理に、こちらの意向など無視して漏れ出てくる。
するとそれらは混ざり合う。赤い記憶も青い記憶も、黄色い記憶も空色の記憶も、何色だろうと構わずに、それらは互いに混ざり合う。
そうして混ざりきって、黒になる。

 その黒と、小さな明かり取りから差し込んできた光の白が、私の脳内のスクリーンの上で世界を描き出している。
だから私は、どう足掻いても白黒の文章しか書けないのだ。背景と文字の色そのままの、白と黒の文章しか描けないのだ。