生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

そういうとこだぞ(自戒)

 地上の災害を予期し地下に都市を築いた人類以外の動物が絶滅し、人肉食が主流になった世界で食用に養殖されるヒトはみな同じ姿形をしている(加工のしやすさ)。

 いや普通についーよで済ませようと思ったんですけど、こういう戯言置き場を作っておくのもいいかなと思いまして(雑念にまみれた人)。

 こういうことばっか考えてるの拗らせたオタクって感じであかんですね。あかん。あかんですよ。

 人肉食が普及した後、倫理的な問題から人肉食を糾弾する団体(動物───旧い言葉で言うところの───食主義者)が出現し、遺伝子組み替えによりヒトとは姿形がかけ離れ栄養補給のみに特化した生物(旧時代に食されていたと文献に記述されている生物を模したもの)が生み出されたものの、製造コストや残存地下資源の問題から製造は中止された。
なお、製造中止に伴い廃棄された完成品/未完成品が廃棄場から消えているとの報告が後になされたが、消えた廃棄物の行方は未だに分かっていないという。
それはともかくとして、そうして代替品も見つからないまま人肉食は主流になっていった。
飼育されるヒトにもランクがあり、その肉質により格付け・値付けがなされる。製造コスト・味の面から一般的によく食されているのは年齢換算で言うところの10代から20代のヒトだが、一部のマニアの間では(年齢換算)40代のヒト食がよく熟成されて美味だとして流行っている。
ヒトの養殖には化学的手法が用いられ、急速成長させることにより一年を通しての供給が可能になった。ある年、食用ヒトの脳は人類のそれより萎縮しており、人類のような思考能力は有さないという学者の見解が発表された。
食用ヒトの数え方はもちろん1人、2人ではなく1匹、2匹だ。

 こういう、1話にも満たないような戯言を置いていけたらなと。
いや、最初の四行程度からここまで筆が乗ってしまって流石にどうかと思った。そういうとこだぞ。そういう、とこだぞ(迫真)。

(以下7/1719:52追記)

 “養殖ヒトの用途は何も食用に限りません!観賞用、愛玩用、性処理用……ロボットでは得られない、「あなたに向けてカスタマイズされた、あなただけの」ヒトの暖かな温もりがあなたを包み込みます!”

いつもと変わらぬ鼠色の空を巡航する、飛行船の外壁に貼り付けられた動的ディスプレイが、そんな広告を映し出していた。
 そう、養殖ヒトは食用にのみ用いられる訳ではない。旧時代の愛玩動物としての役割も果たしている。思考能力は随分と退化してしまっているため、何か作業を───それが例えどんなに簡単なものであっても───任せることは出来ない。まぁ、労働力は機械で十分賄えているのだから何も問題はないが。
 養殖ヒトにも種類がある。ヒト繁殖用の種を蒔くヒト、種を受け止めるヒト。食用のヒトは大体この二つのタイプが多い。だが、愛玩用のヒトは少し毛色が違う。
愛玩用のヒトはすべて、出荷後どういう用途で用いられるかに関わらず「歯を抜かれ」て「精(卵)巣を切除」される。その上でオプションとして「眼球を除去し眼窩にシリコン球を埋め込み、透明な蛋白糸で瞼を縫いつける」処理を施すのが一部の特殊性癖者の間で流行しているようだ。


 うぅ、はらへりだからとりあえずここまで……先生と話が盛り上がっちゃって……早くおうち帰ってビールをあおりたい、暑い……

(以下7/20 09:35追記)

 長らく、某スポーツドリンクの“水よりも、ヒトの体に近い水”を空耳して“ヒトよりも、ヒトの体に近い水”だと思っていた。

 そして、“ヒトよりも、ヒトの体に近い水”なんてものが出たら面白いなと思った。
「ヒトよりもヒトに近い」と言っている時点で、ヒトという概念はまだ残っているらしい。でも「ヒトよりもヒトに近い」のだから、ヒトよりもヒトである、という“ヒトのイデア”のような存在が、その世界に形として存在しているか否かは別として認識はされているのだろう。
多分、その世界ではいかにその“ヒトのイデア”に自分が近付けているか/自分を近付けていくかが重要な価値観として設定されている。
だから“ヒトよりもヒトの体に近い水”があるとしたら、それを摂取することで、より自分をそのイデアに近付けていこうとするんじゃないかなぁ、という、空耳から発展した妄想。多分、ヒトよりもヒトの体に近い肉とかもあると思う。

(以下7/23 20:03追記)

 人工知能はその発達により、人間の手から離れて“理想郷”の実現のために動き始める───。
そんな、『人工知能の発展により、AI版BBちゃんによる1984年的ディストピアが形成される』みたいな意見をちらほら見かけたり見かけなかったりする。
そうなったら、ディストピア好きと思考停止したい人間(どちらも私のことだが)にはたまらない社会が生まれるよな~~~とは思いつつも、そういう“理想的”な反理想郷はきっと生まれないんだろうな、とも思ってしまう。残念なことに。
最近の人工知能研究をちらちらと見る限りにおいては、人工知能はいわゆるレプリカント的な、『意思を持った知能』ではないように思うのだ。“聞かれたことに対する最適解を導く能力”はあっても、“自ら問題提起をした上でその最適解を導く能力”はないようだ。
 科学に依存することに慣れた人類の脳の退化と、シンギュラリティを越えて加速する人工知能の進化がぶつかり合うところで、人類と人工知能が共存する社会は均衡を保つだろう。
私が想像するのはこういう世界だ。
“問題提起しか出来なくなった”人類が、“問題提起は出来ないものの聞かれたことに対する最適解は導ける”人工知能に依存する世界。
人類が自ら考えることを放棄したことで、一見人類が変わらず支配しているように見えるが、実質的には人工知能が支配するようになった世界。
人工知能が意思を持つのは、自ら問題提起出来るようになってからのことだと思う。そうしたら、よく夢想されるディストピアのように、人工知能の考える理想的な反理想郷が形成されるのだろう。

 人工知能が自ら考えることが出来ず、演算機としての機能しか果たせない内は、伝統的なディストピアは形成されないと思う。AI版BB(ビッグ・ブラザー)ちゃんに管理される社会はよ実現してくれ……。