生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

寂しい人間が好きだ

 寂しくない人間のことが好きじゃないとか嫌いだとかいう訳ではない。ただ、寂しい人間のことが好きというだけだ。

 自分と、そしておそらく自分の家族(自分と血が繋がっている一親等の人間をそう呼ぶとすれば)も寂しい人間ではあるが、それらのことは好きではない。まぁ、前も言ったように私は私のことが好きではないのだから、当然と言えば当然なのだが。

 父親は明らかに寂しい人間だ。でも寂しくないふりをした上で、全ての寂しい人間のことを馬鹿にするから嫌いだ。
 母親も寂しい人間であるらしい。らしい、というのは婚姻関係にある夫以外の人間の子を、いつの間にか(家を離れている間)に身ごもっていたのを人伝に聞いたからだ。でも、寂しい人間が自死を選択することを頑なに認めず、選択するならば警察に通報するとまで脅すから嫌いだ。
 私は……。私が自分のことをどれだけ嫌いなのか、それだけで軽く一記事は書けそうだからここでは省略する。その程度には嫌いだ。

 それら例外を除いたほとんどの寂しい人間のことを、私は好きだ。
何故ならば、彼(女)らは常に飢えているから。
単に人の温もりとかではなく、寂しさを埋めるための何かを常に探し続けているから。寂しさを埋めるために知識や文学を追い求める人なんかのことは特に好きだ。無意識に陰のある人のことを好きになることが多いのは、そういう理由から来るのかもしれない。
自分が寂しい人間であることを認めながら、その寂しさときちんと向き合おうとしている人間のことが好きだとも言える。
自分自身が寂しい人間であるからといって、それを認めたくないからといって、他の寂しい人間を攻撃するような人間が嫌いだ。前述の、父親のような人間が。

 例外を除いた全ての寂しい人間のことを、私は愛しく思う。寂しさを抱きながらそれを否定せず、自分なりの方法でそれと向き合う人間のことを、健気で愛しいと思う。
 世間からは否定的に見られる殆ど全ての寂しい人間たちのことを、私は肯定する。許容する。受け入れる。
 『手を伸ばせ~』を好きになり、心の中にしまい込んでおきたくなったのもきっとそういう理由だ。どうしようもなく寂しい人間のいち視点を描いているから、世間からは否定されるような立場の人間のことを描いているから、せめて私はこれを肯定しようと強く感じた。
だから、これは私たちの物語だ、と心の底から思ったのだ。
寂しい人間を否定するような人間たちになんか渡したくないような、宝物のような物語だから大事にしたいと思ったのだ。

 寂しい人間は往々にして不器用だから寂しいのだと思う。そして世間とのズレを修正できないためにずっと寂しいままでいる。世間に否定されるから、世間に肯定されるような器用さを持たないから、寂しいのだと思う。

 だから私は、そういう不器用で寂しい人間たちのことを愛しいと思ってしまう。