生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

不器用な人の話で思い出した

 何かもうパン食べてコーヒー飲んで最低限の家事することしか出来てない。残り時間はひたすら布団の上にいる。そういう日もあるよねとポジティブに生きていきたい。

 不器用な人の話を前記事でなんとなく触れて思い出したので書く。ついさっき(後で書こう)と思いついたことの内容をド忘れするとかいうあほあほのあほな出来事があったので、忘れない内に、書く。

 器用な人がいる。内側でどんなことを考えていようと、表面ではニコニコと笑いながら優しい言葉を紡ぎ出せるような。

 不器用な人もいる。内側でどんなに優しいことを考えていようと、表面では憎まれ口を叩いてしまうような。

 以前までは前者の表面に騙されて痛い目を見ることが多々あったのだけれど、最近(憎まれ口を叩いているけど、この人多分優しい人だわ)と思うことも出てきた。優しい人だけど、不器用だから優しい人であることを理解されない、そういう人のことも多分好きなんだ、私は(他人事)。

 そして、そういう人たちの優しさに気がつけなくて申し訳なかった、とも思う。ごめんよ。

 謝って思い出したついでに、忘れない内に。

 「謝る」ってとても純粋で根源的で、素敵な行為だなぁと思った。思う。
私自身、未熟者だから謝る場面なんてのは多々あったから考えてすらいなかったけど、「謝る」というのは素敵な行為なのではないかと思うようになった。
人間、悪い(と思う)ことをやらかした時にいつも謝っている訳ではない。やらかしてしまっても謝らない時というのもある。
それでもやらかしてしまった時に謝るのは、その相手との「関係を修復したい」という想いがあるからだ。だからどうでもいい人に対してやらかしてしまっても、適当な謝罪をする人がいたり、私自身も適当に謝ったりする。
でも改めて考えてみて、今まで自分が“きちんと、誠意を持って”謝ってきたのって、その相手と元の関係に戻りたいからだったなぁ、と。
それって実は(やらかしてしまったことが悪いということは変わらないが)とても素敵な行為だったんじゃないか?と。
だって、関係が壊れたままでもいいやって人に対しては誠実な謝罪はしないから。そういう人に対してもきちんと謝る真面目な人も世の中にはたくさんいると思うけど、少なくとも自分はしないから、そう思った。
そして、(謝罪会見とかは別として、私的に)謝っている人を見ると心が締め付けられるようになった。


 (この人は謝ってまで相手との関係を修復したいと考えているのか、それはとても尊いことだ)と思うと、胸の辺りがきゅうっと締め付けられる。