生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

同感と共感

 傾聴の時に話し忘れたことを思い出した。他のどこかで話したにもかかわらず自分が忘れているだけかもしれないけど、書く。

 曰く、
『「同感」と「共感」は似て非なるものです。』らしい。

どう違うのかというと、
「同感」は相手の気持ちに寄り添い同化すること、相手をわかること。
「共感」は相手の気持ちには同化せず、少し離れた位置で相手の気持ちを受け止めること、相手をわかることではない。
そして、傾聴する時には「同感」ではなく「共感」をしましょうね、という訳だ。
相手のことをわかるなんて不可能なのだから、という前提で、ただ聴く/吐き出させるのが肝要らしい。
いいな、と思った。そうだよな、相手のことなんて誰にも分からないよな、と。安心した。

 私は他人の気持ちが分からないからよく失敗するのだ、と思っていた。周りに「あなたの気持ち分かるよ、つらいよね、うんうん」みたいな人が一定数存在していたから余計にそう思ったのかもしれない。
 何故かそういう人に対してはあまり良くない印象を抱いていたのだが、「同感」「共感」の話を聞いてようやく分かった。理解した。
 私は、容易に“分かった振りをされること”“分かってないのに自分の理解者の振る舞いをされること”が嫌いだったんだなぁ、と。
 人にはその規模にこそ差はあれど、皆パーソナルスペースが存在する。「同感」は、そのパーソナルスペースにずかずかと入り込み、『あなたには私しかいない』とのたまうような行為じゃないか、と。

 そして、
(ああ、私は「同感」されたくないんだ)
(私のことを分かったような振りをされたくないんだ)
(そんなにすぐに理解できるような、底が浅くて頭の悪い人間だと思われたくないんだ)
とも思った。


 自分は寂しい人間であるという自覚がありながら、寂しさを何かで埋めたいと願いながら、「同感」はされたくないだなんて、そりゃあいつまで経っても寂しい人間な訳だわ、自分。