生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

幻想と熱狂の狭間で

 熱狂と幻想、二つがぐるぐると回って生まれた渦の中に、私はしばらくいた。

 私の好きも、私の嫌いも、そのほとんどが熱狂と幻想の狭間で生まれたものだったのだろうと、今に至って思う。

 私は幻想を好き/嫌いになって、熱狂的に好き/嫌いを深めていった。ありもしない何かをそこに見出して、蜃気楼を必死に追いかけていた。なんと滑稽なことだったろう。
しばらくそんな調子だったから、この年になっても好きと嫌いを普通の人間並みにもわかっていない。

 そしてこれまで、快楽の得られる物が好きで、不快を感じる物が嫌いだと思っていた。蜃気楼の真っ只中で、“快・不快”のみが目に見える/手にとって分かる基準として具現化されていたからだろう。具現化された根拠をより所にして好き嫌いの理由付けが出来たから、とも言える。

 未熟な私は好き/嫌いに幻想を抱いていた。下手すると今でもまだ抱いてしまっているかもしれないが。快/不快を参考にして、自分の好き/嫌いのイデアを仕立て上げて安心しきっていた。そのイデアを元に判断するのが正しいのだと思っていた。

 好き/嫌いって何なんだろう。
自分は自分自身の好きも嫌いもきちんと論理的に説明できた試しがない。
こういう理由で自分はこれを好いていて、こういう理由で嫌っているのだと説明できない。
だから、なのかもしれない。
論理的に説明できないから、誰かから論理的に自分の好き/嫌いを論破されて否定されるのが怖くなって、自分は何が好きで、何が嫌いなのかを考えるのすら怖くなって、最終的にそれらを見失うことになってしまったのは。