生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

空調の音のみが支配する自室の中で、異質な音を聞いた

 どんなに渇望し、手を伸ばしても手に入らなかった死が、唐突に私の頭を撫でた。



 一時期、本気で死のうとしたことがある。その時買った縄は、まだ自室の片隅に置いてある。
 ネットの海からその具体的な方法を見つけ出し、方法が書かれたサイトが削除される前に自分の手帳に書き留めた。心残りのないように、心配をかけないようにと、当時、心を許していた一人の友人に一通の手紙を送った。未遂に終わったけれど、その手紙の内容は間違いなく遺書だった。
 具体的な方法を書くと色々と問題になりそうだから、詳細は分からないようにして書く。
詳細は省くがまぁともかく、私は自分をぶら下げる時に、両耳にイヤホンを着けて好きな音楽を聴いて、目を瞑っていた。だから気が付かなかったのかもしれない。
試行を何度か繰り返した時のことで、何日目かはもう覚えてもいないけど、いつの間にか、玄関のポストに切手のない手紙が投函されていた。
自分が少し前に手紙を送った友人の名前が、封筒の裏に書かれていた。酸素の足りていない頭を回して状況を整理した。切手がない手紙が投函されているということは、少なくとも友人は自分の家の、しかも玄関の前まで来たということだ。
中身を読んだ。
やはり実際に足を運んでくれたらしいことが、その手紙から読み取れた。そしてその内容を読んだ時に思わず久し振りに涙を流して、しばらく自室に籠もって泣いて泣いて、泣き疲れて眠った。
その後流石に申し訳なくなって、その友人にLINEを送ったりなんだりをして今に至るのだけれど、それはまた別の話にすることにして。
問題は、その友人は間違いなく、私がぶら下がっていた縄を目撃しただろうということだ。
怖くてその後何度か会った時もそれを見たかどうかを聞けなかったのだけど、家の構造上、そして私が試みた方法の関係上、ポストに直接手紙を投函した場合、友人はその縄を目撃しているはずなのだ。
生き延びて、少し心に余裕が出来て、そのことに思い至った時、背筋が凍った。なんて物を見せてしまったのだろう、と思った。
前々から澱のように積もっていたその友人に対する拭い去れない罪悪感は、その時その瞬間に確かなものとして私の心にこびり付いて、そのままの状態でこの記事を書く時点に至る。

 罪悪感という治る見込みのない後遺症を抱える、という結果のみを残し、私の一世一代の一大事業はそうして幕を下ろした。
倒れた時に死にきれなかった私は、自分の手で自分にとどめを刺そうとするくらいの希死念慮をその当時抱えていた。
どこかの国の独裁者が脳出血で亡くなった、というニュースを聞いて羨ましく思っていた。
自らの生命の終わりを、心の底から渇望していた。死に向かって、自分の手を伸ばし続けていた。
でも結局、その時は手が届かずに終わった。



 あれから時が経ち、今に至る。演習で課されていたタスクを片付けた私は、一週間の疲れを癒すために布団に横になって眼鏡を外して、目を瞑った上から片腕で両目を覆って、頭の中の本棚から溢れてくる思考をひとつひとつ、自分のペースで無理せずに、処理していた。実に穏やかな状態だった。
そうしていた時だった、頭蓋の内に「どっくん」とひとつ大きな、血流を送り出す時のような音が響き渡ったのは。
倒れてから今までで初めて聞く音だった。痛みは全くなかったけれど、再出血かと恐ろしくなって、咄嗟に全身を動かして麻痺がないかを確認した。
右半身は、何ともない。左半身は、いつも通り痺れている。いつもより痺れが強い訳でもない。大丈夫だ。
大丈夫だ。
あんなに渇望し、手を伸ばしても手に入らなかった死が唐突に私の頭を撫でたというのに、今の私は素直に喜べなかった。普通に、普通の人間のように、怖い、と思った。
まだ現世に執着があるからだ。
まだ何も成していないから。
私を散々馬鹿にして、苦しめてきた連中を/私を不幸の谷に突き落とした連中を、まだ見返せていないから。
そんな、「明るい希望というよりは、暗い怨念のようなものでこの世にしがみついている自分」に気が付いて、
“これは私の勘ですが、”と、
あなたは生き延びるだろうと、
どんなボロボロな姿になっても生き延びるだろう、
と、そう仰った師匠の言葉を思い出した。



 たぶん私は師匠の言うように、この先も、死にたいと思っても死ねなくて、いざ死が自分に手を伸ばしてきてもそれを必死にはねのけて無様に生き延びるのだろう。

 憂鬱症の中で、中途半端な状態で、私はふよふよと、くらげのように漂いながら、いつか周りの潮流が変わり砂浜に打ち上げられて干からびて死ぬまで、ボロボロになりながらも生き続けるのだろう。