生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

これまで私は悪い子だったし、これからも悪い子であり続けるのだろう

 すべて、すべて私が悪いのだ。

 それは一つの逃げ道の先にある、到達点。思考停止の終着点。



 今日、夢を見た。
何かの手続きを担当しているらしい窓口係の人に「申込書の“家族”欄にお父様の名前しか書かれていないのですが、お母様は……?」と、言われて、「離婚も死別もしてないんですけど……しばらく家にいなくて」と答えた。
すると窓口係は「離婚も死別もしていないのなら、書類上では“家族”となります。書いてください」と言った。その後私が申込書に母親の名前を書いたのかどうかは覚えていない。多分そこで目が覚めたか別の夢に移行するかしたのだろう。

 そして目が覚めた時に思った。(すべて私が悪いのだ)と。
母親が家を出て行ったのは随分昔のことで、私が義務教育すら終えていない時のことだった。けれど、それも私が悪かったのだろうと思う。
母親の望む子でいられなかったから、家族という形を保つ努力が足りなかったから、母親は出て行ったのだろう、と。
たくさん勉強をして、古豪ではあるが厳しい部活にも打ち込んで、年頃の子がするような他のことをすべて捨てて、「いい子」であろうとした。実際成績は良かったし、部活でもなかなかの好成績を収めたし、「いい子」だったと思う。
でも、それでも足りなかったのだろう/あるいは他にすべき努力があったのだろう。
母親は包丁を私に投げつけ、夫には食器を投げつけて、荷物をまとめて出て行った。

 母親は───私が言えた口でもないが───幼稚な女性だった。「(私の名前)は離婚してほしくないと思う?」と聞かれて、「好きにすればいいんじゃない?」と答えたら、その後夫に対して「(私の名前)は私たちが離婚しても構わないって。離婚しよう」と言ったらしい(らしい、というのは後に父親から聞いたからだ)。
でも当時、私の父親は、離婚という選択肢を選ばなかった。娘が多感な時期だったからなのか、単に世間体を気にしてのことだったのか、今になっては分からない。けれどともかく、離婚はしなかった。代わりに別居という形になった。
それから、部活の朝練に行く前に自分のお弁当を作って、夕の部活を終えて帰ってからは簡単な料理/あるいはレトルト食品を夕ご飯として食べる生活が始まった。
(家での)勉強時間が、他の子よりも圧倒的に足りていないことを自覚していた。部活が忙しいからと、塾にも行けなかった。だから私は、授業で習ったことは全て授業中に理解して覚えるようにした。

 そうして勉強と部活のこと以外は(自らの努力不足で)何も知らないような、つまらない人間のまま高校生になった。
高校は、煌びやかな場所だった。裕福な家庭の子が多かった。勉強と部活以外の、自分を磨くあらゆることを知っていて、実践している子だらけだった。
 そんなことも知らない私は、垢抜けない芋のような高校生として、それまでしてきたように勉強だけに打ち込んできた。つまらない人間が、よりつまらなくなっていった。
 ある時、私の努力を認めてくれる人々に出会った。
「お前は悪くない」「不器用なだけだ」と慰めてくれる、能力は高いくせにその学校においては日陰者として暮らしていた人々だった。
その「お前は悪くない」に対して私は「私が悪いのだ」と返し続けた。何度も何度も、そう返し続けた。
するとその人々は「確かにお前が悪い。だけどお前が悪いのはお前の責任じゃない。お前がいる、環境のせいだ」と言うようになった。自分が悪い、ということの責任が自分以外にあるのだと言われたことがとても意外だった。
 高校三年間、一年目二年目三年目と、その人々と関わり合うことで、段々と「すべて自分が悪いが、それは自分のせいではない」と思うようになっていった。

 そうして迎えた大学生活。
 一般的な大学生がそうするように、私もサークルに所属した。そこは、真面目に努力をすればそれに見合った成長が出来る場所だと思った。

けれど違った。違う、ということが私には分かった。
才能がある人間と、家庭に問題のなくて活動外のことに関しても充分な支援を受けられている人間と、要領のいい人間が認められる場所だった。真面目なだけでは認められない場所だった。
だから私は、要領のいい人間の真似事をした。自分の中の価値観では「常識的に考えて悪い」とされることもした。それをすることで評価され、それをすることを咎められない人間を見たから、私も同様に許されるだろうと思ったのだ。
結果的には許されなかった。そこの人間は、私が不真面目なことをすることを快く思わなかった。それをする度に、自分の評価が下がっていくことを感じた。そして思った。
なんだ、結局は私だけが悪いのか、と。環境に従おうが、私だけが悪いことに変わりはないのだな、と。

 そこからはもう、自棄だった。正規のルートで/正規の手順で努力しても認められず、要領のいい人間の真似事をしても咎められて評価が下がるのならば、もういっそのこと突き抜けてやろうと思った。
とことん、要領のいい人間の真似事をしてやろうと思った。「悪い」と自覚しながら様々なことをやった。やらかした。
多分彼(女)らは、私を非常識な人間だと思っただろう。だって、他ならぬ私が当時の私自身のことを非常識な人間だと思っていたのだから、当然思っていただろう。
だから、やっぱり私は悪いのだ。

 そういうことを続けて一年強、私は左半身の自由と記憶力を失った。遺伝性ではなく、先天性の原因により、失った。両親や先祖のせいではなく、他ならぬ私自身の責任によって、私は私の自由を失った。
ほら、すべて私が悪いでしょう?

 何をしても/しなくても「すべて私が悪い、ということになる」ことを理解した。随分と長い時間をかけてしまったけれどようやく、理解できた。
この先生きて行くにあたっても、それを忘れないようにしたいと思う。
「全部全部、私が悪い。何をしてもしなくても、私が悪いということに代わりはない。ずっとずっと私が悪いのだ」ということを。
生きているだけで咎められても仕方がない人間なのだ、と、自覚しながら生きていこうと思う。