生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

ほんの一部が欠けているだけでも鋭敏になるのか

 前も書いたと思うけど、私の半身は感覚が麻痺している。
全く何も感じられなかった発症直後とは異なり、痛み、寒気、痺れを感じられるまでには回復したけど、それでも触覚はほとんどないし、自分の身体がどこにあるかすらも分からない程度には鈍麻している。

 こういう話を聞いたことはないだろうか?
盲目の人の聴覚が鋭敏になったり、嗅覚が鋭敏になったりするという事例を。
人間、よく出来た構造をしているようで、失った/あるいは元から欠けていた器官を別の器官で補うことでその生命を維持させようとするらしい。

 私はそういう事例を知っていた。知っていたが、自分には関係のないことだと考えていた。だって、もう片半身は完璧に感覚を感じられるし、視力は悪いが目は見えるし、においも分かるし、耳は(検査の結果によれば、若干もう片方よりは鈍いが)聞こえるし、味だって感じられる。
生きていく上で、ということを考えると、まぁ半身の感覚の鈍さは相変わらず存在していて少し困るけど、生きていけない訳でもない。

だから、関係ないのだと。

 でも、若干生活に支障、とまではいかないけど違和感を感じて気が付いた。自分の身体は、自分の意思なぞ関係なく半身の感覚鈍麻を補おうとしているということに。
私には部屋で一人で寝転がって、(季節を問わず)毛布を被ってぼーっと考えたり本を読んだりする日課がある。今の季節だと空調の音がするけれど、それ以外には何も聞こえない部屋の中で、(ほとんどの場合)何も聴かずにその日課をこなしている。

 そんな時に親が帰ってくる。当然だ。一人暮らしをしている訳ではないのだから。
そして私は、あらかじめそれを予期して部屋の扉を閉め切っている。
静かな空間を保ちたい、という理由と、開け放っていると親が話しかけてきて面倒くさい、という理由から、親が帰ってくる前には自分の部屋の外でやるべき全てのタスクを片付けて、部屋に籠もって引きこもる。

 けれど最近気が付いた。扉を締め切っているはずなのに、扉の向こう側からの音があまりにもうるさいと。でもそれを指摘するために扉を開けて話しかけに行くのも嫌だから、更に毛布を深く被って音の波が凪ぐのをひたすら待つ。
凪ぐのを待ちながら、おかしいな、と思った。前はこんなにうるさく感じなかったはずなのに、と。

 そしてもしかして、聴覚が鋭敏になっているのでは?と考えた。家に限らず、外でもそう感じることがあったからだ。
それから、ああ、面倒くさいことになったぞ、と思った。元々騒音に弱くて、静かな環境を望む人間だったのに、その上聴覚が鋭敏になってしまったら、過ごしづらくてたまらない。

 聴覚が鋭敏になるくらいなら、このままだと失明するとまで危ぶまれたことすらある視覚が鋭敏になってくれれば良かったのになぁ。