生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

好き/嫌いだった。その二つの気持ちが等しく併存することは───二重思考を用いれば───矛盾することではない。

 その人のことが、好きだった。

 一緒にいて楽しくて、話し下手な私でも楽しく会話できて、ある事柄に対して深く深く掘り下げながら、たまには意見を対立させながら、互いの納得する答えを導き出せて、自分のことを尊重してくれていて、好きだ/妬ましかった。

 会う度/一緒にいる時、多幸感/劣等感を感じた。
受け入れてくれるような人の少ない私の趣味や、それに関する思索に付き合ってくれて、思索を進めるための新たな知見を与えてくれて、なんて幸せなのだろう、と思ったことがある。
私と似た生い立ちで、私とは違う境地に達しているその人に対し、妬みのような暗い感情を抱いたことすらある。

 正しい道を歩めてさえいれば、その人のようになれただろう、という確信に近い考えを今に至っても持っている。
だからこそ、どこで道を違えたのだろうと思うのだ。あの時か、あの時か、それとも………中学二年の時から既に道を違えていたのか。
 どこで道を違えたかはともかくとして、“なれたかもしれない幸福な自分”像を体現しているその人が、好きで好きで、妬ましくて嫉ましかった。
そういう気持ちもあってか、憂鬱症が酷い時に心無い発言をして一時期音信不通にもなった。

 でもその人を好きだという気持ちに変わりはなく、色々と手を尽くした。その甲斐あってか、めでたく(?)交流は復活した。

 楽しそうだな、と思う。本当に、楽しそうだな、と。

 私もああなりたいな、と思った。思う。憧れている。私には無い物を全て備えているその人のようになれれば、と。

 私の中で、その人への好意と嫉妬が、互いに互いを自らの色に塗りつぶそうとしている。道徳的/常識的に考えれば、私は前者を応援すべきなのだろう。
それは理解している。だけど私には、どちらを応援すべきなのかが分からないのだ。
その理由は簡単だ。一言で説明できる。
「私が卑怯者だから」だ。
私はその感情のどちらも等しく抱いているが故に、どちらか一方に肩入れすることを望まない、と言えばまだ聞こえは良い。
私はその感情のどちらか一方に肩入れすることで起きる諸問題に責任を取りたくない、卑怯者なのだ。

 人と親しくなるのって難しいことなんだなぁ、と、もういい歳なのに、まだ新鮮なことのように感じてしまう。