生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

追記にするようなことではないなと思ったので

 人それぞれ考え方は違うのだろうけど、私はTwitterをオープンにはしたくない派の人間だ。鍵をかけて引きこもっていたい。

 最近、Twitterで(それが実際に成果を上げているか否かを問わず)意図的にバズらせようとしているツイートが流れてくる。それを見ていると、どうやら“バズり構文”とでも表現するのがいいようなくらい似通った構造の文章が多い。
そしてそれぞれ、細部やテイストが異なろうとも、共通点として挙げられるのが
「使われている言葉が度を超して強い」ということ。“全ての○○な人たちへ”とか、“○○を憎む全ての人へ”とか、“人生観が変わる”だとか、他にも色々とあるけれど、とにかく言葉が強い。
多分、強い言葉は受け手が深く考えなくても頭に入ってきやすく、その分拡散されやすいからだと思う。

 ここまで考えてて、このままだとちょっとまずくないか?と思った。
何が?って言うと、このままだときっと、強い言葉だけが受け入れられる世界、あるいは強い言葉しか流通しないような世界になりそうだ、と、大げさかもしれないけれど、そう思った。
強い言葉は理解に労力を費やす必要がないから、まず受容する側が強い言葉に漬かりきって言葉を理解する力を失う。
その後発信する側も、受容する側が強い言葉しか理解出来なくなったのを見て、理解されないであろう回りくどい言い方なんか廃止して、単純な構造の強い言葉だけを発信するようになるだろう。

 そう言うお前自身がディストピアに漬かりすぎだ、と言われても否定は出来ないけど、ちょっとまずいことにはなるだろうな、とは思っている。
1984年のニュースピークのような物を、支配者が押し付けるまでもなく、被支配者たちが勝手に作り出して、使って/漬かって、強い言葉でしか考えられない脳味噌になる……。
と、そこまで言うと流石に妄想が激しいだろうけれど、あり得ない話でもなさそうだよなぁ、と、強い言葉と炎上が日々現れては消費されていくTwitterを見ていて思った。まる。