生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

薄緑色のカーテン越しに射し込む、山葵色がかった日の光のみが光源の部屋の中にて

 私は考える。

 そして考えた末に、やっぱり憎いと思う。羨ましい、すら超えて、恨めしいとまで思う。
 何が、といえば、
“私が持ちたくても持てなかったものを持っていて”
“その上さらに私が持ちたかったものをかっさらっていく人間”のことが。本当の本当に、憎い。

 以前、私が真っ暗闇のただ中にある時に抱く
「幸福の総量は予め決められているという妄想」について書いたかと思う。でも、今回のそれはその妄想とは異なるものだ。
幸福の総量は予め決められてなんかいない。いたとしても、私ひとりがどうこうしようがちっとも変化しないぐらいに膨大な量だから、やっぱりそれは私自身には関係がない。
だけど。だけど、私の力ではどうしようもない/どうしようもなかった部分について憎いと、恨めしいと思うのだ。
例えばそれは生まれや育ちだったりする。生まれ付き抱えた、いつ爆発するかも分からない時限爆弾による呪縛の有無だったりもする。そして人間関係だったりする。
私はその、生まれも育ちも身体の状態も、そして人間関係にも恵まれている、生まれながらにして“持っている”人間が憎くて恨めしくて堪らない。
少なくとも私よりは“持っている”癖に、私の不幸さ/惨めさも知らずにさも自分こそが最も不幸であるかのようなな振る舞いをして、更に私が欲しかったものをかっさらっていくような人間が。

 私は何も“持っていない”から、その憎悪は余計に増幅される。増長する。

 そして、この不幸さと惨めさにいくら耐えようとも/努力し続けようとも幸せになれないような、この世界のことが、私は憎い。