生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

暇すぎると、私の脳は思考の沼へと沈んでいく

 合宿疲れからくる筋肉痛がまだ治らない。あと何か痺れが強まってる気がする。頑張りすぎたか。

 合宿までが忙しすぎて、終わった途端にぽーんと放り投げられたように感じる。そう、やることがないのだ(無理して探せばあるけどそこまでやりたいことでもないので放置)。

 だから、私はいつものように考える。思考の沼に沈んでいく。



 まず、よく世間で言われ、反論がされる“憂鬱症は甘えだ”という意見について。自分自身がその病気の真っ只中にいるから、責任から逃れたくて私はそれを
「甘えではない」と考え続けてきた。
 だけど、この合宿のある瞬間に思ったのだ。やっぱりこの病気は甘えなのか、と。
二日目の夜、夕食後の薬も就寝前の薬も飲み忘れるという失態を犯した。どちらも憂鬱症に対して処方された薬だ。
普段の私は、それを飲み忘れるとその翌日は1日中気分が落ち込んでしまって、いつも以上に自分以外のことに構う余裕が消える。
だけど今回は、それ程重たい憂鬱症の症状は出なかった。
二日酔いに紛れてたのかもしれない。
吐き気に塗りつぶされていたのかもしれない。
そこで私は考えた。
どうしていつものような症状が出なかったのか、と。
どうしていつものような希死念慮の中に転げ落ちなかったのか、と。

 考えた。
私なりに考えた。
そして、自分なりの、正解じゃないかもしれないけど、答えを見つけた。
 多分私は、この合宿を共にした人々に対して、1ミリたりとも心を開いていないのだ。
隙を見せる気など少しもないのだ。
だから、私は私が彼(女)らに対して被った仮面を剥がさない。弱味なんて見せない。憂鬱症の中で苦しんでいることを絶対に知られないように、私は全てを隠し通す。無理矢理笑う。口の端を、表情筋がつってしまう程に吊り上げる。
そこに努力を傾けていたから、憂鬱症に浸っている暇なんて一瞬もなかったようだ。そのせいか、家に帰ってきた時には疲れがどっと出たけれど、憂鬱症は、努力次第で押さえ込めるのかもしれない、と思った。心を開いた相手以外ならば、きっと私は憂鬱症を隠し通せるだろう。心を開かなければ、油断しなければいいのだ。だから、気を張り続ければ押さえ込めるのにそれをしないのは、甘えなのかもしれないな、と思ってしまった。
 まぁ、もう既に心を開ききってしまっている相手に対して心を閉ざすことはできないのだけれど、それはそれ。



 次。
今回の合宿で、本当に何年ぶりかと思うくらいに久し振りに、“一般的な女子大学生”と話した。新鮮に思った。前に所属していたサークルには、あまりそういう類の子はいなかったから。

 (怖い)と思った。
彼女たちは、本音をどれだけ隠し通してお世辞を言い合って、その場の空気を乱さないかに尽力し続けていたからだ。本音がどうであれ、お世辞を放ち続けるその優しさで偽装した銃口を、恐ろしい、と感じた。
 お世辞を言って、お世辞が返ってくる。
端から見ると、生産性も何もなくて停滞したコミュニケーション。だけどそれが、その社会の中で上手く生きていくための方法。
私はこれから生きていく上でこのコミュニケーションの様式を会得しなければならないのか、と、少々、いやかなりうんざりした。
 うん、やっぱり私はこの性別/種族に向いていない性格なようだ。この二泊三日、その中で過ごしたのもあって、余計に疲れたのかもしれない。

(少し追記。お世辞を吐くのと同じ口から、私が考えられる以上の陰口が吐かれるのも怖い。
「○○くん、くさいよね」だなんて、とても自分には言えない。自分自身がくさくない自信がないと言えないその言葉をさらっと言ってしまう彼女らのことを、やはり恐ろしいと思うのだ。)

 私はこの性別の、そういう風潮がとても苦手だ。自分を守るために、自分が思ってもいないことを吐かなければならないこの社会が、苦手だ。
結局は自分が褒められたいがために、
マウントを取りたいがために、
そういった打算的な考えの下で優しい言葉を吐き続ける人が、
そして自分がその性別なのが、
嫌で嫌で仕方がない。

 あぁ、疲れたな。本当に、疲れた。