生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

将来自分は絶対弱者になんかならない、なんて誰にも言い切れないのだから

 当事者にとっては胸糞の悪いツイートが回ってきた。こんな考え方をする生き物が実在したんだ~みたいな、珍獣を見たような気持ちになった。

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 私自身が生まれつきの弱者ではなくて(多分)、後天的に弱者の層まで転げ落ちた人間だから余計に、
“自分が普通ですらいられなくなること”がある、ということを私は身にしみて理解しているつもりだ。
直前までピンピンしてても、倒れた途端に半身麻痺、記憶障害。そういうこともありえる。実際あったし。

 何だろう。
「配慮しろ」と言っている訳でも、
「介助しろ」と言っている訳でも、
「同情しろ」と言っている訳でもなくて、ただ単に、
「あなたが生きている世界にはそういう弱者が存在する、ということを認識してほしい」というだけ。

 その先の“配慮”だとか“介助”だとか“同情”とかはその個々人の性格に委ねているだけで、別に強制はしていない。
まぁ、それをしないことが他者から見た自身の性格の評定にマイナスに働く可能性はあるけれど、強制されていないからといって、
「それをしない」という選択をしたのならば、それは仕方のないことだと受け入れるだけでいいんじゃないのか?と。
 多分こういう人たちは、“配慮”“介助”“同情”を得られない自分から見るとそれらを得ている人間を
「ずるい」と感じてしまうのだろうな。前Twitterか何かで見かけたピラミッドの図を思い出してそう思った。
 弱者が自分で認識したくもない自身の弱みと向き合いながら生きていることすら否定するのならば、この世界で生きる上で人間向いてないんじゃない?とも思う。いわゆる“弱者”なんて目に見えてないだけでわんさかいますよ。

 まぁ、よくTwitterで回ってくるような、漫画形式にしてバズを狙っていそうな感じの漫画とか、同情を買いたい感が伝わってくる漫画とかは(弱者のことだけに留まらず)、私も好きじゃないけど。
 だからといってその“嫌い”を弱者叩きにまで延長させるのはちょっと違うと思う。
 論拠が感情だけの言葉は説得力を持たないんだ、と、感情を論拠(あるいはきっかけ)にしてしまいがちな自分から助言として送りたいくらい(このツイートをした人はすっごい面倒くさい性格をしていそうだから関わりたくもないけれど)。

 だから、将来自分が不意のアクシデントで弱者のところまで転げ落ちた時、過去の自分の発言に首を絞められないためにも気を付けた方がいいよ、と言いたい。自戒も含めて。