生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

そういう病気にかかっているからこそ、気を付けなければならない

 麻痺の方じゃなくて、憂鬱症の方の話。

 この病気は、「楽しい」という感情が湧きにくくなる。以前は楽しいと思えたことでも楽しいと思えなくなる。実際、そうして今の私の手では持ちきれなくなって手放した趣味もそれなりにある。
 そんな中でも楽しい、と思えたり、「楽しい」という具体的な、形を持った感情は湧かなくとも手を伸ばそう、と思えたりするような趣味は、これからも大事にしていかないとなぁ、と思う。じゃないと本当に、何も楽しめない人間になってしまって、憂鬱症の谷に突き落とされるから。

 でも、そういう病気にかかっているからこそ、気を付けなければならないことがある。
それは、
“自分がそれを楽しめないからと言って、それを楽しんでいる人間を/楽しんでいること自体を揶揄してはいけない”
ということだ。

 自分からすると「楽しい」と思えなくて、どうして人がそんなものに熱を上げているのかも分からないからと言って、人が好きなものを屁理屈で批判してはならない。

 昔、
「ゲームに課金するとかお金の無駄じゃん」と言われたことがある。それを言われた当時、自分が課金するかしないかで悩んでいたこともあって余計にその言葉に惑わされていたのだけれど、
ちょっと前に悠木碧神が「課金は食事と同じ」などと語っていたように、今の私は
え、別に自分が楽しいと思ってやってることなんだからよくない?
と思えるようになった。周りの知り合いと比べると微課金もいいとこな金額だけど、課金するようにはなった。後悔はしていない。楽しいと思えるから。これが楽しいと思えなくなったら多分終わりなのだろうけれど。

 と、他人のことをとやかく言いながらも、自分自身もこの病気にかかってからというもの、
“自分が楽しいと思えないものを楽しんでいる人間のことを妬ましく感じてしまったり、馬鹿らしいと思ってしまったりすること”はたまにあった。
過去形なのは、そういう時期を自力でどうにか乗り越えたからだ。まぁ、今でもたまに、そういう感情が頭を過ぎることはあるけれど。
 多分、楽しんでいる人間は、それを楽しめていない人間の方なんか向かずにそのコンテンツの方を向くから余計に、仲間はずれにされたように感じて、妬ましく思ってしまったのだろうと思う。

 病気にかかって、普段出来ていたことが急に出来なくなる、という経験をしていたのにも関わらず、精神的な方面でも同じようなことが起こり得るということを予測できなかったことが敗因だと思う。憂鬱症への。

 この病気は、自分自身が楽しいと思えていたことすら楽しいと思えなくなる、厄介な病気だ。
だからこそ、この病気に囚われている間は、意識的に誰かの「好き」とか「楽しい」とかを羨まない/妬まないよう心がけなければならないのだ、と思う。必要とあらば、他人の「好き」や「楽しい」から目を逸らすべきなのだろう。他人を守るため/それ以前に他でもない自分自身を守るために。

 そうでないと、他人のこと云々は置いておくとしても、他人の「楽しい」を批判することで、自分で自分の逃げ道を塞いで/自分の首を絞めてしまうことになるだろうから。