生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

校正を学んだら、長所を生かした技能が身に付いたと共に、それに対応する短所も増幅したみたいだ。

 暇だったから、校正を学んだ。文科省が運営している通信講座で学んだ。

 小ネタ探しが大好きで、細かいところにすぐ気が付く私にとって、それを学ぶのは楽しかった。
(何でこんな間違いが起こるの)と、“校正をしなければならない文字”として例に挙げられた文字を見てはけらけらと笑いながら、講座を無事に修了した。※ひどい時には「つ」という文字が90°回転して「し」の鏡文字みたいになっていたこともあった。

 それを修了したからなのか、元からあったものが知識を得ることで増幅されたのか───多分後者だと予想するが───、私はそれまで以上に、もはや“文字信仰”とでも呼称すべきであろう、
“文字に対する信頼”を強めていった。

 元々話すのが苦手で、出来ることなら文面でやり取りをしたいと願っていた人間だった、というのもあったかもしれない。
 何か文章を書く時、それまで以上に、異常なくらいに誤字や脱字が無いかが気になるようになってしまった。これでは神経衰弱も悪化するというもの。
 文章は、特に私がこうして使っている日本語による文章は、1文字1文字の、“文字”の役割が強い。だから、たった1文字でも間違えれば意味が大きく異なってしまうこともある。そしてそれは、意思伝達を阻害して、私たちが社会生活を送っていく上での障害になりうる。

 いやまぁ、普通の、普通にコミュニケーション能力がある方々であれば
「口で話せばいいじゃないか」と思うんだろうな、とは思っている。でも私はそういう人間ではないから、どうしても文字の力に頼り切ってしまう。そうして、直接/口語でのコミュニケーションであれば起こらないような、意思伝達の不具合を被ってしまう。

 私は今、とある場所でとあるグループワークをしている。構成員は四名。最初に接触したのは、現実世界ではなくバーチャルの世界だった。LINEで自己紹介をして、LINEのアイコンで互いを認識した。
 私はグループの中のある1人の人間と、出会った時からとっても反りが合わなかった。というか現在進行形で合っていない。
 どうしてこんなにもその人と反りが合わないのかと、髪の毛をわしわしと洗いながら考えていた。
 そうして、ある1つの仮説に至った。
「私が文章ベースで物を考える一方で、その人は口語ベースで物を考えるからじゃないか」と。だからその人は、グループの他の人間の予定などお構いなしに“直接の対話”を主張していたのではないか、と(グループのひとりが所要で他県に行ってしまったため、その人が主張していた“直接の対話”は実現されなかったが)。
 そう考えると、辻褄が合うような気がした。
LINEで話す時───普段の適当な話の時はそこまでではないけれど、真面目な話の時は余計に───、
 私は文章の文脈を/文章の構成を、細かく細かく確認して、誤解のないように、書き手が伝えようとしていることを読み取ろうとする。1文字1文字が大切な情報だからと、液晶に穴が空くほど精読する。書く時は書く時で、稚拙な文章しか書けないとしても、読み手の力量によって受け取られ方が変わらないような文章作りを心がける。
 一方その人は、口語でのコミュニケーションを得意とするが故に、なのか何なのか分からないけれど、文章を書いて意見を交わす時、あまりその文字や文章にこだわらないようなのだ。口で話すように文章を書いているようにも思える。
 だから、
私が文章を文字通りに受け取る一方、
その人は読み手が行間を読み取って、足りないところを察してくれることを前提に文章を書く。
そりゃあ反りが合わなくたって仕方がないな、と思った。
 私は私で
「前にあなたが『○○○』だと述べていたからその通りに受け取りました」と言うし、
相手は相手で
「『○○○(の行間)』を書いていたつもりでしたが、今読み返すと確かに言葉足らずでした」と言う。

 そしてその(私が最初にその人と会った時に口論になったことを思い出して面倒くさくなった)結果が、
「別に喧嘩を売ってる訳ではないので、とりあえずそういう感じでよろしくお願いします~」
みたいな、某何でも出来るラスボス系後輩みたいな言葉を残して通知オフ、だったのだ(のだ、と言ってもなぁ、という感じだけれど)。
果たしてこのグループワークは無事にゴールできるのだろうか(・~・)