生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

今、この部屋には、ワイナリーで試飲して選んだワインと

 夕食後の精神安定剤を服用したばかりなのにも関わらず、涙が溢れて止まらない人間と、頭を空っぽにしても出来るソーシャルゲームの画面を映し出した携帯とがある。

 まだワインは栓を抜いてすらいない。今飲むと、おいしいはずのワインですら不味くなるのが目に見えているから。でも、本気でつらくなったらラッパ飲みでもしてみようかなぁとも思っている。

 どうして私がすること為すことは全て、何もかも上手くいかないのだろう。そんな答えのない問いを、ソーシャルゲームのイベントを無心で周回しながら誰にともなく問いかける。

 部屋の扉の向こうから、「もう嫌だ」と念仏のように独り言を呟きながら洗い物をする父親の声が聞こえてくる。もうこの家は限界なのだろう。

 心から『楽しい』と思えなくなったのがいつからなのか、それすらももう私には思い出せない。楽しくないことも「楽しい」と自分に言い聞かせて、へらへらと笑っていた/いることだけは思い出せる。

 楽しくない。何も楽しくない。今目の前で表示されているソーシャルゲームのリザルト画面を見ても何も感じない。
 面白くない。何も面白くない。自分の周りにいる、私以外のほとんど全ての人が、自分とは違って孤独ではなく幸せそうに見えるのが、つまらない。

 私がいなくても回っていく癖に/私の方など見向きもしない癖に、私をあの時そのまま死なせてくれなかった世界が憎くて仕方がない。
 世界を恨むだなんていう、生産性が無い上に誰も得をしない行為をやめられない自分が、未だに見苦しく生き延びていることが残念でならない。

 どんな時も私を慰めてくれた文学すら、私を見放した。半身の麻痺は、ただ単に本のページをめくることすら困難にした。そうして私には、何もなくなった。

 誰も───同居している親すらも───私を見ていない。誰も私のことなど見向きもしない。
本当は、私はどこにも存在していないのかもしれない。ただこの世界のバグによって気まぐれに生み出された、想定外の余計なデータに過ぎないのかもしれない。
誰も私を見ていない、ということはそういうことだ。
誰にも見られていないということは、存在していないことと同義だ。

ただ、匿名の誰かのアクセスによって増えていく、このブログのアクセスカウンターを見て、
(少なくとも“誰か”は私が書いた文章を読んでくれているのだ/
こんなどうしようもない文章を書くような人間がいることを知っていてくれるのだ)
と自分に言い聞かせることでしか、私は私自身がこの世界に存在し続けることを許せない。