生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

普通とズレている。“普通”なんて形のない幻想でしかないとしても

 昨日は舞台を観に行った。当初の目的推しを観るためだったけど、去年の公演を観てからその劇団のストーリーや演出、演技、空気感を好きになっていたため、そちらにも期待していた。

 ちょっと言い方は悪いけど、恋を主題に据えると陳腐になりがちなイメージがあったから…何と言えばいいかな、ええと、安っぽい恋愛劇で終わらせてほしくはないなぁ、と思いながら参戦した。
結果は期待以上で、早くDVDが欲しい、と願う程だった。

 観劇にわかマンとはいっても、なんとなく“舞台”というものの特性は掴めてきた。
スクリーンに映し出される映画よりも、感情の起伏がこちらに伝わってくる。その世界に引きずり込まれる。
舞台の縁にあるはずの、“舞台と観客との境界線”は、時間を追うごとに次第に溶けて曖昧になっていく。そうしていつしか、私たち観客は単なる第三者ではなくなる。“その世界観に同席している第三者”になる。その世界に生えている木々にでもなって、主役たちを観ているような気にすらなる。

 けれど時々、観客席から咳き込む声やカサカサと物を動かす音が上がり、自分が観客席にいることを思い出す。観客席の、自分以外の人の気配を感じる。どれだけ舞台上に注目していようとも、観客席から上がる音は明白に/残酷なことに自分が舞台上の世界とは違う世界に生きる人間であることを思い出させる。
 それでも私は舞台上を凝視する。一挙手一投足たりとも見逃してたまるか、と。主役脇役関係なく、可能な限り彼らのことを見逃さないように、と。

 観客席のあちらこちらから、笑い声が上がるシーンがあった。すすり泣くような声が聞こえてくるシーンもあった。
そんな時でも私は、声を出せなかった。面白くない訳じゃない。悲しくない訳でもない。だけども何故か、声を出して笑えないのだ。泣けないのだ。
声が、出ないのだ。まるで声を出せなくなった子が出てくる童話のように、呪いで声を奪われたように、出ないのだ。
 舞台に引き込まれすぎたのかもしれない。声すらも出せなくなる程に。
だけども単純に、この私自身が、あの観客席の中で私だけが普通とはズレていたのかもしれない、という結論も考えられる。
自分の周囲から発される笑い声と泣き声を聞きながら、
(普通はこうして声を出すものなのか)とすら思った。“普通”なんて幻想に過ぎないのだろうけれど、自分が普通とはズレていることを突きつけられたように感じられた。

 “普通”って何なんだろう。
舞台上で繰り広げられていた演劇の副題のような問いを、観劇後の私は自身に問いかけることになった。
“普通”なんて、形のない幻想でしかないとしても、問いかけることになった。