生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

ねむねむしながら書いていたら、寝言のような文章が出来上がっていた

 何を書こうか、何を書くべきか。少々アルコールの入った頭で考えながら、うとうとと微睡んでいる。
微睡みながら何を書こうか考えている、とも言える。どちらでも変わらないか。
 別に書くことは義務でもなんでもない。何も書かなくたって構わない。
だけどもやるべきことから目を逸らし、暇を持て余している私の身体は、何かを書きたくて仕方がないらしい。その衝動の赴くまま、何を書こうか考えもせず、見切り発車でこうして書き始めてしまった。
何を書こうか。ようく考える必要がある。何せ私は、油断するとすぐに暗い話に持って行ってしまうのだから。

 私は自分の気持ちに敏感なくせに、他人の気持ちには鈍感だ(大丈夫か?この始め方で。暗くならないか?)。
私には、他人の気持ちが分からない。テレパスではないから。だから想像する。私ならそういうことをされたらこう考える、と。そうしている内に、他人の気持ちに(被害妄想的に)敏感な人間が出来上がった。自分の中で想像/創造した他人の気持ちに左右される人間になった。
 最初はその解決法で問題ないと思った。だけどしばらく経ってから、何か“ズレ”のようなものを感じた。当然だ、だって“わたしがかんがえたたにんのきもち”は所詮、自分が考えたものでしかない。正解とは限らない。
 人は私が考えているよりも敏感で、鈍感らしい。私が予想もしなかった角度から何かを察知することがあれば、バレたかな、とヒヤヒヤしていたことに気がついていなかったりもする。よく分からない。難しいな。

 情けないことだが、私は自分の気持ちすらよく分かっていなかったりもする。人の気持ち云々以前の問題だ。
 気が付かなければならなかった自分の気持ちに、何もかも終わってしまってから気が付くくらい、自分の気持ちを分かっていない。そうしてそれは、私自身にデメリットとして働く。あの時ああしていれば良かった、と、後々悔いることになる。
 私は、自分の気持ちに正直に生きているように振る舞っておいてその実、自分の気持ちを分かっていなかったのだ。じゃあ私は、何を基に行動していた/しているのだろうか。やっぱりそれすらも分からない。

 これは想像でしかないが、私は“わたしがかんがえた、たにんにうけいれられるわたし”を自分の中に作って、それを基に動いていたのではなかろうか。だから、私とわたしが乖離し続けて、そのズレが今になって蓄積したダメージとして私の憂鬱症を引き起こしたのではなかろうか。

 そうじゃない、そうじゃないんだ。
もう私の周りには、その“たにん”すら存在しない。それくらいにひとりぼっちになったのだから、もう、“わたしがかんがえた、たにんにうけいれられるわたし”は必要ない。
私は“私”を“わたし”にしなければならない。そうしない限り、私はまたその乖離に苦しむことになるだろう。

 私は、“たにん”から見放された“わたし”に問う。
「どうしたかった?どうしたい?」と。
“わたし”は私にこう返す。
「ひとりになりたい時以外は、ひとりになりたくなかった。こんなどうしようもないわたしを、受け入れられたかった。
わたしが社会から断絶されている間に、当時わたしが受け入れられたかった相手は、わたしの頭をそっと撫でてからどこかへ去ってしまったけど。」
「そしてそれは今も変わらない。ひとりはもう飽き飽きだ。受け入れられたい。
あの時わたしが受け入れられたいと思った相手はもう、わたしを受け入れるどころか見向きもしないだろうけど。」
「だからわたしは江口に受け入れられようとしているのだ。心にぽかんと空いた大穴を埋めようとして。それが決して実現しないものだと知りながら。」と。

 全てが手遅れになってから/全てが終わりきってからようやく、私はわたしと答え合わせをすることができた。どうしてだろう。程良くアルコールが入っていたからだろうか。