生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

いくつかの種類に分けられた1日を繰り返している

 毎日24時にリセットボタンを押すように。

 私の1日は、大体次のように分けられる。
○誰にも会わない日(家族や医者はノーカウント)
○Aと会った日
○Bと会った日
○Cと会った日
○Dと会った日
○Eと会った日
○Fと会った日
○Gと会った日
etc.
※会いたいと思わない人にはそもそも会いに行くこともないので、ないものとする。

 基本的には1番目の、誰にも会わない日を繰り返している。たとえ自分がインドアな趣味に傾倒しているとはいえ、ほとんどの場合は楽しくない、と思っている。
 一方、引きこもっている自分にしては珍しく、誰かと会った日の終わりには大体、程度や内容に差はあれど、(楽しかったな)と思っている。
 倒れて以来、そういう───引きこもっている日常とは違う、非日常的な───日々を経た結果、私の損傷した脳味噌は、その機能不全を補うかのように効率的な回路を作り上げたみたいだ。

 例えばAと会った日は概ね“○○だったから楽しかった”という感想を抱いていたとする。それを積み重ねた結果、私の脳味噌は、
「Aと会った日は“○○だったから楽しかった”」という結果しか残さなくなった。
B以降についても同様で、それぞれの相手固有の楽しさを、その日に起きた出来事がどんな内容であれ、
“△△だったから楽しかった”や
“□□だったから楽しかった”という、決まりきった記憶しか残さなくなる。
 もしその日に写真を撮ることが出来たなら、その写真を見返すことでその決まりきった記憶に変化を与えることはできる。だけど、基本的には決まりきっているのだ。
その日の終わりに/その日の24時に、記憶のリセットボタンが何者かの手によって押されているかのように。

 正直に告白すると、申し訳ない、と思っている。わざわざ時間を割いてまで私と会ってくれている相手に対しての対応としては、不誠実にも程があるということを自覚しているからだ。
だけど、私の力ではどうしようもないのだ。私が望もうと望むまいと、誰かが勝手に私の記憶をリセットしてしまうのだ。

 ひと昔前に、エンドレスエイトという話が世に出されたことを思い出した。
同じように、私は自分がいくつかの種類に分けられた、決められた毎日を繰り返しているかのようにすら思える。とてもつらい。
だってきっと、同じ話を繰り返しているから。
多分相手がうんざりする程に、私は同じ話を何度も振っては、何度も相手から同じ返答を得ていることを忘れ続けているのだろうから。
私は自分の文章の拙さが恥ずかしくて、ブログの記事を読み返すことをほとんどしないから分からないけれど、もしかしたら今日書いているようなことを以前に書いているのかもしれない。
そんなことすら分からない。
そんなことすら覚えていない。
 私は、数種類の1日を無意識に繰り返し続けているから、前に進むことが出来ない。

 こんなことを続けていたら、自分の数少ない友人たちも流石にうんざりして、私から離れていってしまうのだろう、と考えると申し訳なくて/つらくて仕方がない。