生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

随分と簡単に言ってくれるな

 「コンプレックスを潰せ」という言葉が流れてきた。
運営会社がおせっかいで流してくるような、“あなた(私)に興味がありそうな呟き”ではない。私が、私自身の意思によって構築したタイムラインに流れてきた、流れることを他ならぬ自分が許容した呟きだった。

 曰く、
「自分を好きになれば他人と何の引け目を感じることもなく関わることができる」と。
「後ろめたさを感じる必要もなくなる」と。ほうほう。
 じゃあ、具体的にはどうすればいいの?その呟きは、その答えも並べて記していた。
「コンプレックスを潰す」と。
具体的には「ダイエット、そして」そして?
「整形」
それ以降もつらつらと書き記されていたけれど、私はその時点で読むのをやめた。タイムラインを更新して、その呟きを他の呟きで押し流した。

 整形。昔から、本当に本当に昔から、考えていた。夢見ていたと言ってもいい。いつか絶対整形して、こんな醜悪な顔を捨ててやると、ずっとずっと考えてきた。
 だけど現実はそう甘くなくて、私みたいな貧乏人には、整形なんて夢のまた夢だった。
整形。出来さえすれば、毎朝鏡を見る度に腹立たしく思うこともなかろう。
他人の前で自分の顔を晒すことに何の躊躇いもなくなるだろう(私は自分の顔を晒すのが、恥ずかしくて仕方がない)。
他人の綺麗な顔を見て、目を逸らしたくなることもなくなるだろう。

 だから簡単に(少なくとも私にはそう思えた)、
「整形すればいい」だなんて言い放っているそれを見て、私は虚しくなった。
だってそのことを私は“知っている”のだから。知っていてなおやらないのは出来ないからだ。出来る環境にないからだ。

 私は理由なく眼鏡もマスクも装着できない時、顔を晒さなければならない時、どこかに隠れてしまいたくなる。今に始まったことじゃない。多分、小学生くらいの頃から始まっていた。
周りにいる、顔の整った人々を見る度に。
家に帰って不細工だと罵られる度に。
その気持ちを強めていった。

 そうして過ごすうちに、私は外見にとどまらず内面すらも醜悪にしてきてしまった。もう引き返せない。死なない限り、この醜悪さは捨てられない。

 外も内も醜悪な自分を自覚すると、人に会うのが恥ずかしくなる。申し訳なくなる。
人に会いたくなっても、無意識にストッパーをかけてしまう。
「コンプレックスを潰せ」という言葉は、
「整形すればいい」という言葉は、
私が常日頃背負っているコンプレックスを更に強めた。
自分がコンプレックスを克服する方法はやはりそれしかないのかと。貧乏人の私には、コンプレックスを克服することすら許されないのかと。

 目を逸らしてきた「醜悪な自分が生きている/死ねないこと」に無理矢理向き合わされたような気さえして、希死念慮が煮詰められて濃くなった。