生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

フラット、フラットだ

 薬を処方されている。いわゆる“ダウナー系”の薬だ。


 それを飲むとどうなるかというと、何だっけ、感情適応調整だっけ。いやいやごめん、こちらの話だ。
とりあえず、感情がフラットになる。感情にマスキングをされる。極端な感情が全て強制的にゼロになる。気力がなくなる。
ネガティブな感情はもちろん、ポジティブな感情もすべて、ゼロになる。

 そうすると、「死にたい」と思っても、面倒くさいし/気怠いしいいか…と、踏みとどまれる。
現に、私の部屋には未だに縄や踏み台になりそうな椅子、縄をかけられそうな場所があるにもかかわらず、私はまだ生きている。
それは「死にたい」と思わなくなった訳ではなくて、「死にたい」と思っても、それを実行するだけの気力を削がれているから、まぁ面倒くさいしいいか、と諦めるようになっただけの話。


 もちろん良いことばかりではない。先述の通り、ポジティブな感情も同様にマスキングされる。
楽しい、と思いづらくなる。
笑いづらくなる。いざ笑おうとしても顔が強張るくらいに。
 多分昔の自分だったら、これに対して笑ったり冗談を言っておどけたりしたんだろうなぁ/顔は笑えないけど、面白いとは思うから笑った方がいいんだろうなぁ、と考えながら、無理矢理その感情を引っ張り出すこともある。
不誠実だけど、そうすることしかできなくなる。

 常に頭がぼーっとしている。お酒を飲んでから寝た翌朝の、寝起きの時みたいに。
常に眠気に襲われている。疲れ果てて布団に入った時のように。
常に脳味噌が、マスキングされている。

 死にたいから死のう、とならなくなったのは、多分いいことなのだろう。消去法的だとはいえ、生きるという選択肢を選んではいるという点において。
 だけど、楽しい(はずの)ことも楽しめなくなったのは、多分良くないことだと思う。
フラットになったはずの、ネガティブな感情を「ものを楽しめない」という理由で増幅させてしまうという点において。
 そのせいだろうか。
別に全然悲しくないのに、勝手に涙が零れてくることがたまにあるのは。
全体的にはフラットになっているはずなのに、たまにそういったネガティブな感情の増幅が突出して、涙を押し出してしまうのかもしれない。
「ものを楽しめない」はもちろん、何の前触れもなく降りかかってきた“悲しいこと”に、マスキングが対応しきれていないのかもしれない。

 「楽しい」のだろう、楽しくないけど。
「悲しい」のだろう、悲しくないけど。

 生きているのに/別に生きたくて生きている訳でもないのに、自分が死んでいるようにすら思える。
死んでいるように生きている、と言うよりもはや、死にながら生きている、と表現した方が良いかもしれない。

 私は生きているのに、死んでいる。
死んでいるのに、生きている。
投薬による感情適応調整は、生死すらもフラットにする。