生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

空気を、空気を、空気を

 名状しがたい、何かどろりとした液体のようなものに身体全体を覆われているような感覚。いつから?いつからだろう。

 私は水の中に棲む生き物じゃないから、液体から必要な分の酸素を抽出することなんて出来ない。水面に浮き上がって息継ぎをしなきゃいけない。
 Up,up.じゃなきゃあっぷ、あっぷだ。駄目だ、今日はお茶とコーヒーと牛乳以外に何も飲んでいないのに、酔っぱらっているかのような言葉が出て来てしまう。きっと“メルロー”のせいだろう。

 ともかく、酸欠からくる苦しみから逃れるためには息継ぎをしなくちゃならない。
生きるために、というよりは苦しみから逃れるために、と言った方が私の性に合っている。苦しみたくないから、息継ぎをする。それだけのこと。
結果的に生きることに繋がるのだけれど、それはそれ。

 私は、物理的には空気を吸えている。
だってこの身は(不完全ではあるけど)この大地に立って空気を吸っている。
 でもそうじゃない、そうじゃないんだ。
たとえこの身が物理的には地上にあるとしても、常に私は精神的な液体に覆われている。閉じ込められている。普通の水よりもかき分ける時に抵抗がかかって、濁っていて不透明な、どろりとした液体に。
その「精神的液体」からどうにか顔だけでも出して、空気を吸わなければならない。
 液体に閉じ込められてもう長いこと経つ気がする。そしていつの間にか、はじめには無かったはずの、囚人のように錘の付いた枷が片足にかけられている。
これでは空気を吸うために浮上するのもままならない。

 精神的に空気を吸うためにはどうすればいいか?簡単だ。
「人と関わるような、楽しいことをする」。
「人と関わる」のが重要なようで、何故だか私にも分からないけど、ひとりで楽しいことをしても空気は吸えないのだ。
どうしてだろう。やっぱり分からない。
 簡単だ、とは言ったけど、それの前はこういう注釈が入る。
「私以外の、普通でまっとうな人にとっては」。簡単だ。
 でも私にとっては困難で、その証拠に、今試しにカレンダーを見てみても、私が空気を吸える日は片手で数えられる程しかない。今月の下旬以降に至っては、もうほとんどゼロだ。この足枷と、どろりとした液体のせいかしら。このまま私は溺れ死んでしまうのだろうか。

 医者には「様子を見よう」と言われている。
今月下旬以降の環境の変化に耐えられるか、様子を見よう、ということだろう。耐えられるのだろうか、私は。
 それとも耐えられなくて、今よりもっと薬の量が増えて、更に更にフラットになるのだろうか。喜びも悲しみも全て、今よりもっと平らに均されるのだろうか。

 私は空気を渇望する。苦しみから逃れるために。今処方されている量の薬でも、フラットにしきれない苦しみから逃れるために。

 空気を、空気を、空気を。
私に、空気を。苦しまないための、空気を。