生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

美形って大変なんだなぁ、という気持ち

 “祖母から聞いた話で云々~”みたいなツイートで、私が乱暴な要約をすると「美人は大変」と言っている(あくまで個人的な要約です)ツイートがあった。


 それを読んで、前々から書こうと思っていたことを思い出した。
「あぁ、私、不細工で良かった。それ以外も何も持ってなくて良かった」と書こう、と思っていたんだった。
 そしてそれは、少し前の、不自由が幸せだと書いた記事に少し関連する。

 思う。あぁ、私、不細工で良かった、と。だって私、きっと美形だったら今以上に調子に乗って生きていただろうし、色々やらかしていただろうと思うから。美形だからといっても許されないくらいに、色々やらかすだろうから。
 それに、何も期待できないことすらも、やはり不自由による幸せだと思うから。

 顔や身体の歪みはそのまま、性格の歪みに繋がるらしい。それは実体験として、自分を自分で見ていて思ったことだ。
 顔が悪くて、スタイルも良くなくて、性格も悪くて、頭も悪くて、会話力も無くて、何もなくて、良かった。
 よく言う、『そんなことないよ~』みたいな否定をすることすら憚られるような状態で良かった。それら“何もないこと”を、否定されたがっていると思われなくて良かった。

 何も持ってないと、言い訳が出来る。
「だって私、何も持ってないから」、
みんなが掴んでいるように見える幸せを掴めなくたって、
人生楽しくなくたって、
何も出来なくたって、仕方がないよね、と。
 全部全部、努力したってどうしようもない/努力しても報われないようなことだから、努力しない言い訳にも出来ていいよね。
自分に自分で言い訳出来て、本当にいいことだよね。

 ただ、ただ。難点として、自分には何もない一方で、他の人には何かがあるのを認識してしまうとたまに落ち込むことがある。それも仕方がないこと。
隣の芝は青く見える、じゃなくて、隣の芝が実際に青いんだから。

 それでも、美形じゃなくて良かったなぁ、とは思うのだ。だって彼(女)らは、私のような不細工だったら経験しないような苦労を経験しているのでしょう?私のような不細工が経験する以上の苦労を。
そういう風に、ふとしたことでしか可視化されないような苦労をなさっているんでしょう?見えないだけで、さぞ多くの苦労を。

 そういう方々とは違って美形じゃなくて、本当の本当に、良かった。良かった。