生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

ニュースピーク的に言うなら「“非”間違い」?

 とか考えていたら、私の中の面倒くさいオタクがこう言うんだ、
「そもそも“間違い”という言葉すらないはず。
そこにあるのは“正しい”という言葉たわけで、むしろ間違いこそを“非”正しいと言い表すことしかできないはず」と。
本当面倒くさいオタクだな。


 まあそれはそれとして置いておくとして。
「普通の」「年頃の子らしい」「女の子たち」を見ていて思ったことがある。
何か常に群れてない?と。
私の見間違いかもしれないけれど、それにしたって結構群れている時間が長くない?と。
 男の子はそこまで群れていないように見えるから、余計に女の子の群れが強調されて見えるだけ、という可能性もある。

 その理由を、現人類の興りから追うことも出来るのだろうけど、これはただの暇潰しだ。言葉の工作だ。
だからもっとラフに考えることにする。


 ここまで書いていて、昔所属していた集団の(私を含む)構成員が性格診断をしたところ、“一匹狼”という属性を付される人があまりに多く、「一匹狼の群れじゃねぇか」と笑っていたことを思い出した。一匹狼の群れ #とは って感じだ。


 話を戻そう。今所属している集団にいる女の子たちは、別に“一匹狼の群れ”ではない。互いに年頃の女の子らしい関わり方をしている。
 彼女らを見ていて思ったのは、
その群れは「関わりたい」などの積極的な感情から生まれたものではなさそうだ、ということ。
それよりもっと消極的な、「本流から脱落したくない」みたいな感情から生まれていそうだ、ということ。
 “普通”なんてその時々で変わるものだけど、そんな不安定な“普通”から外れたくないんだろうなぁ、と思った。
「おかしな人だ」と思われて迫害されたくないのだろうなぁ、と(その気持ちは分からないでもない)。

 彼女たちは別に自らが“正しく”在りたい訳ではなく、正しくないとしても“間違ってはいない”ことを確かめ合って、証明したいのだと思う。周囲の人間/自分に向けて。
「この意見は正しいよね?」よりかは
「この意見は間違っていないよね?おかしくないよね?」と問いかけ合うために群れでいるのだと。

 『女の子は寂しがり屋なんだよ云々~』的な発言を見ると、その度にうるせ~~~しゃらくせ~~~なんちゃらかんちゃら~~~ってなる。
私の推測に過ぎないけど、女の子たちは「寂しいから」というよりはもっともっと本能的な理由であるところの、「生き残りたいから」1人でいたくないだけで、それ故に群れの中に身を置くことを好んでいるような気がする。

 生き残るために群れる。
群れから追放されないために、“正しくない”ではないこと───つまりは“非”間違いであること───を周囲と自分に証明し続ける。言い聞かせ続ける。
 群れの結束と仲間意識を高める手法として、群れの外の人間や、“普通から見ると外れ値”の人間のことを否定する方法がある。そういう人間ではない自分を、“正しい”とまでは言わないにしても、少なくとも“間違ってはいない”と主張するために。


 対照的に自分は、いくら群れたいと思っても/群れようとしても、群れられない人間なのだということがようやく分かりはじめた。
その上で
「『“間違っていない”を主張するために他を否定すること』を、逆に自分がされたくない」
だなんて臆病で消極的な理由が、私を群れから遠ざけているのだと思う(本来ならばそういうことから身を守るために群れるのだろうけど)。

 たまに、「群れること」を強要されることがある。特定の個人から、という訳ではなく、その場に漂う空気から、強要される。
その度に、群れることに不慣れな私は次のことを意識するのだ、
「“正しく”あろう、としないこと。
それよりも“非間違い”であろうとすること」を。