生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

分かるからこそ好き/嫌い

 『手を伸ばせ~』は“分かるからこそ好き”な典型例です、めっすき。読んで(n回目)。


 他人の言動の動機が何となく透けて見えたり、動機を聞かされた時に理解出来たりすることがある。良いことも、悪いことも、理解できること/できてしまうことがある。

 冒頭に述べた通り、『手を伸ばせ~』は好き。
その思考の動機とプロセスが理解できるし、それを読む自分が持っている長所と似た能力を活用して、上手く物事を進めていっているように思えるから。
そうそう、それそれ!というカタルシスを得られるから。
“一般的に悪いとされること”をしようと思ってしまうその気持ちも、前向きなことをするその気持ちも、両方分かるからこそ気持ちがいい。


 一方で、同様に自分がその思考の動機とプロセスを理解できる/できてしまう行為だとしても、それが自分の短所と似た能力を活(?)用して、愚かな結果を得ているところを見るのは本当に、見るに耐えない。
自分の恥を自分の手に負えないところで勝手に晒されているような気にさえなってしまうからだ。
その上でそれが他人から非難されているなのらまだいい。
それが他人に受け入れられているのを見るともう
「何で?」以外の言葉を失うし、その理不尽さでその人を嫌いになってしまう。
恥を晒すな、晒すなら相応の非難を浴びてくれと思ってしまう。私が受けたような罰を受けてくれ、と。

 理不尽だ。
入力された情報の変換方法と出力結果は同じなのにも関わらず、その変換するハードウェアの違いで受ける扱いがそこまで違うのは。理不尽だ。

 その理不尽を、私は嫌う。私は憎む。
そしてその理不尽さこそが、私が「自分が報われない(と思う)こと」の1つの要因のように感じられて、一層その相手への憎悪が増す。

 私は親のせいで(特に親の発する)独り言が苦手だ、その親と同様に自分が独り言を発しているところを想像するだけでも嫌気が差すくらいに。
そんな自分/他ならぬその自分の口から、無意識に独り言が零れ落ちたことに驚いた。そしてその後、発した独り言の内容に改めて驚き、戸惑った。


 え?私、独り言出ちゃってた?恥ずかしい。

え……?今私、「死ね」って声に出してた?え?本当に?
それはどこから出て来たの?どこから出て来た言葉なの?本当に私の中から出て来たの?
と。


 自分で自分のことが余計に分からなくなって、背筋をひやりとした風が通り抜けた。