生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

感覚鈍麻、感覚過敏。対消滅したら不感症になるのかな

 半身の感覚がない。
最近痺れているのを感じられるようにはなった(それまでは痺れているのすら感じられなかった)けど、それでも感覚がないことには変わりがない。そしてそれは、運動小学校に繋がっている。
動かすために必要な筋肉がないという訳ではないらしく、感覚、つまり神経の方の問題で動かしづらさが残っているみたいだ。


 もう半身の感覚は、それを補うためなのか、今かかっている他の病気に由来するのかは分からないけれど、鋭敏だ。感覚がない方に比べて、ではなく、健常だった頃に比べて、鋭敏だ。鋭敏というよりもはや過敏と言ってしまった方がいい気がするくらいだ。
 それは特に聴覚において顕著で、聞きたくない音まで増幅して聞こえてきてしまう。
最初は幻聴かと思った。人の声で頭が痛くなるなんておかしいと思ったから。でも、幻聴ではなかった。
同席していた他の人にも聞こえていたらしい。私が感じたほど不快には感じていなかったようだけど。
 特に甲高い笑い声が、品も秩序もない、金切り声のような笑い声が私の頭に突き刺さるようだった。
 でも別に、女の人の発する高い音に限らない。現に家で、部屋の扉越しに聞こえてくる男の声すらも、私の脳の髄まで響いて突き刺さる。
何でだろう、立川の極爆は大好きなのに、どうしてそんな些細な音が気になってしまうのだろう。
 麻痺側の聴覚は鈍いから、そのギャップで片耳の負担が大きくなる。


 身体を縦に割られた結果、片側は感覚鈍麻、もう片側は感覚過敏になった。
その両方を縫い合わせて、私の身体として同居させるのならば、過敏と鈍麻がぶつかって対消滅すればいいのになぁ、なんて思ってしまう。
けれど当然のことながら私の身体の両側は、対消滅するどころかその乖離を進めていっている。
もはや右側と左側は別の人の身体みたい。右側も左側も、元の持ち主だった私を置いて、それぞれ“過敏”と“鈍麻”の方へとずれていくようにすら感じる。
音楽性の違いで解散したバンドのように、それらは真反対にずれていく。

 過敏も鈍麻も、不快な感覚を生み出すという点においては共通している。ならばもう、いっそのこと過敏も鈍麻もない、鈍麻すら超越した不感症になりたいとすら思った。


 いやまぁ、実際不感症になったらなったで私は余計に憂鬱症を拗らせるだろうことは目に見えている。私は自分がそういう人間であることを知っている。
 対消滅を望みつつも、このまま真反対ずれていく身体を、必死に繋ぎ止めながら生きていくしか方法がないことは理解しているつもりだ。