生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

悟りBキャンセル

 ポケモンじゃないんだからさ…。

 

 

  お風呂で身体を洗いながら、色々考えたり妄想したりしていた。何か創作をする/物を書くなら、どういう物を書こう、とか。何か色々食べたいものがあるけどどうしたものか、とか。

それくらいの、本当にどうでもいいことを考えていただけだった。

 

 

 話は少し変わる。

前にも書いたと思うけど、私は以前、当時すでに色々と悟っていた師匠にある答えを教わった。だけどそれが、悟った末に得るべき答えであり、急に答えのみを与えられたところで意味はないものであることに気が付くまで、あまり時間を要さなかった。

 なるほど、だから仏教徒はああやって修行して、心の底からその答えを理解しようとするのだな、と改めて思ってしまうくらい、教わった答えが即悟りに結びつくことはなかった。だから私は、多分もっと苦労しないと悟ることはできないんだろうな、と、その時悟ることを諦めた。まぁ、悟らなくても生きてはいけるし…と。

 そうして私は悟ろうとすることをやめたまま、今に至った。多分悟ることが出来たなら、今感じている苦痛からも逃れることもできるのだろうな、とは思いながらも、自ら悟ろうとするのはやめた。

 

 そして冒頭の、お風呂で身体を洗っていた場面に戻る。

本当の本当に、どうでもいいことを考えていただけだった。もこもこと泡の立ったタオルで背中を洗いながら考えるのにちょうどいいくらいにどうでもいいことを。

 だけど不意に"それ"が見えた。支障が至った答えの内のひとつに辿り着くための道筋と、そのはるか先にある終着点から微かに洩れる"答え"の光とが。それらは私自身に(今見えている道を、このまま進めば悟ることが出来る)と思わせるには十分すぎる材料だった。

 だけど私は進まなかった、進めなかった。今の自分がどういう状況なのかを改めて認識してしまったから。自分が今まさに、背中を洗っている最中であることを思い出してしまったから。

 ただ単に、ロマンチシズムにとらわれていたというだけのことだったんだろうと思う。実際その時の自分は、(こんな状況で悟りたくない、もっとこう…)(悟るべき場面、みたいなものがどこかにあるはずだ)と思った訳だし。

だから私はあの道を進めなくて、悟れなかった。こんな、背中を洗ってるような状況で悟るのは嫌だ、なんて幼稚な理由で、私は悟りをBでキャンセルしたのだ。

 未熟な今の私には、その答えに辿り着けたとしてもそれを受け入れながら生きていくだけの余裕もない。だからあのBキャンセルは、正しい選択だったのだろうと思う。

 

 

 

 P.S.未来の自分に向けて、自分が答えに辿り着くために必要な、だけどきっと自分以外には不必要な、ひとつの単語を書き記しておく。

「映画祭」だ。もしも夢見がちなお前が、それでもやっぱり悟りたいと思えるようになった暁には、この単語をヒントにして悟りへと至る道の入口を見つければいい。別に悟りたくないならそのまま、その覚えの悪い頭から入口へのヒントすらも忘れ去ったままでいい。