生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

自分以外の人間はみんなゾンビだ

 (哲学的)ゾンビだ。

 最近ひとりでもやもや考えることが多いからか、悟り、というか師匠が辿り着いた答えに辿り着いてしまいそうで、でも今悟っていられるほど実家が太い訳でもなくて……みたいな状況に陥っている。
油断すると悟りそう。なんだそりゃ。


 近頃とんと人に会わなくなったけど(から?)、色々考えてたら、(あ、私以外の人間はみんな、哲学的ゾンビと何も変わらないじゃないか)と思ってしまった。
 他の人に自我がない、と言いたい訳でも、他の人は何も考えていない、と言いたい訳でもない。
ただ、他ならぬ自分が認識している自分の世界において
「自分に他人の思考回路や行動原理は分からない」という意味で、私にとって他人はみんな、哲学的ゾンビなのだということだ。
前に書いた、自分の世界は自分を中心に回っている話に関係する。自分の世界は、自分が認識出来る範囲にしか広がることが出来ない。他人の考えていることは自分には認識できない部分だから、自分の世界の対象外だ。
 それでも、そんな自分にも認識出来る他人のことがある。それは外見や振る舞いだ。他人が外の世界に向けて発信している、行動そのものだ。
 私には、相手が自分に向けて笑ったり/怒ったり/泣いたりする様を見ることでのみ、その相手のことを理解する手段が与えられていない。
私は相手の表面に現れたものから、相手の心情を“推測する”ことしかできない。
ならば。例え相手がどんなことを考えていようと考えていまいと、自分には相手の心が正確には把握できないのならば、自分にとってはやっぱり他人は哲学的ゾンビでしかない。他人は何かを考えている、だけど自分にはその何かが分からない。だったら、自分が認識している自分の世界の中で、他人はみんなゾンビと何も変わらないじゃないか。


 他人が自分に向けて笑う理由が常に「楽しいから」なんて限らなくて、他にも「嘲っている」とか「哀れんでいる」とか、色んな理由が“考えられる”。“推測できる”。
 私はそうやって、自分が認識する世界に対して自分で勝手に意味/理由を付けて、自分を納得させることしかできない。目に見える物全てを自分なりに解釈して、定義付けすることでしか生きていけない。自分の解釈した他人の思考が、他人が本当に考えていたこととは一致していなくとも、私にはそうして世界を見ることしかできない。
 私には、そういう生き方しか出来ない。