生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

鉛の身体は家の重力に負ける

 すると、視界にはカーテンレールにぶら下げられたままの/私が死に損なった時のままの紐が入ってくる。


 環境が変わったからなのか(厳密に言えば元の環境に戻っただけなのだけれど)、脳味噌がパンクしそうで仕方がない。そして何故かは知らないけれど、更新していないブログのアクセス数が増えている。誰か私の代わりに更新しているのかと思えばそんな訳はなく。
 アナログに書き殴ってはみたけれど、鉛の身体を垂直にしなければ書けないという点で少し不便に感じた。

 だから、ブログは書くことにした。頭がはちきれるのを防ぐために。
だけど今までとは少し違う。これからは、更新した時Twitterに投稿するのはやめようと思う。
多分私は、こんなどうしようもない自分が確かにここにいることを、他でもない自分の知人に知ってほしくて、そしてただ声をかけてほしかっただけなんだと思う。
「生きていていい」
「生きていてほしい」etc.
そんな甘い言葉を求めていただけなんだと思う。親から貰うべき言葉、だけど貰えなかった言葉を、誰かに言ってほしかったのだと思う。

 私の心は自分でも引いてしまうほどボロボロなようで、真面目に精神安定剤を飲み続けていても駄目な時は本当に駄目になる。
心が弱くなっている。こんな状態のところに甘い言葉を囁かれたら、自分はきっと容易く陥落してしまうと予想がつくぐらいに隙だらけになっている。
 強く在らねば、と思う。
そして実際、強く在ろうとしている。人前では強い自分でいるように心掛けている。ただ一人の家族の前でさえも。
そうしていたら、部屋に帰ってから鉛の身体を布団の上に横たえた時に見える紐が、救世主のように見えてくるようになった。


 別に死にたい訳ではない。生きたくないだけだ。
何もしたくない訳でもない。何かしたいと思えるようなことがないだけだ。
生き続ける動機がないだけだ。生き続ける義務を果たす必要性を感じられないだけだ。
 久々に記事を書いているだけなのに、どうしてか涙が零れてきた。
 誰も私を見ていない。誰も私を必要としていない。そんな世の中で生き続けたいとは思えない。


 私は死んでいるように生きていて、生きているように死んでいる。



 P.S.小説を書き始めました、いえーい。書き終わったら自費出版するかも?(書き終えることが出来るとは言っていない)