生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

ああ、やっぱり

 私は、二人以上の人間と共に過ごすのが苦手だ。


 多分これは、幼い頃に両親からかけられた呪いによるもので、私がひとりでいるところを見つかる度に
「みっともない」とか
「恥ずかしい」とか
「(ひとりにならないように)努力しろ」とか言われたからだと思う。
私自身はひとりで過ごすことに対して同世代の同姓ほどの拒否感はなかったけれど、両親から怒られるからと努めて友達を作ろうとした。
だけどそんなのは無理矢理作るものじゃなくて、自然に出来る類のものだったのだろう、大抵はその関係が不自然に、ぎこちなくなっていった。
その辺りで、人と関わらなければならない、という自分の性格には合わない強迫観念と、人と関わることへの苦手意識が呪いとして胸の底にこびり付いた気がする。
そして、私自身の人と関わるスキルのなさとその強迫観念は当然のごとく拒否反応を起こし、私を歪にしていった。
他人が上手く人と関われていることの意味が分からなくて、きっと私の知らない何か裏技みたいなものがあるのだろうとすら思った。
そんなまさか、と笑う人もいるだろう。だけど私は心の底から本気でそう考えていた。その裏技が何かを探し求めて試行錯誤して、私はその思惑とは反対に、他人を遠ざけていくことになった。
 そんなこんなで、私は未だに人とまともに関わることが苦手だ。
二人きりならまだしも、その輪が三人以上になると途端に脳味噌が蒸発しそうになる。その場から消えたくなる。
奇数人だろうが偶数人だろうが、自分が孤立する未来が見えて、実際孤立するからだ。
相手が二人以上になると、誰に向けて喋ればいいのか分からなくなる。輪の中にいるにもかかわらず自分に向けて喋る人がいない、という状況に頭が混乱する。その会話に私が必要ないなら帰りますよ?お邪魔でしょうし、くらいは思う。

 あと、怖いのだ。
二人きりで対立するなら、少なくともその場では1対1が担保される。対等になれる。
だけど三人以上になるとそんなものは担保されない。自分が少数派として弾圧される可能性が出てくる。下手すると1対多になるかもしれない。それが怖い。
転勤族として過ごしてきて身に付いたのは、孤立すること/周囲から浮くことへの恐怖だった。それ以外には思い付かない。きっと、他にも身に付けていたのだとしても、全て失ってしまったのだろうと思う。

 そう、呪い。一生解けない呪いなのだ、これは。

 私はもう、信頼していた/好意的な印象を抱いていた人からすらも異物として認識されて、1対複数の状況を作られる、あの骨髄が冷たくなるような感覚を味わいたくない。

 だから、人と関わるのが怖い。
最終的に自分が異物として認識されて排外されることを分かっていながら人と関わることが出来るほどの勇気を、私は持ち合わせていない。