生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

欲求を機制で抑え込み、いい子の立場を守り抜く

 私は卑怯で臆病な人間なんだ。


 だから私は自分で自分に言い訳をする。自分自身が“論理的に思考している”ように、自分を欺く。ちっぽけな自尊心を守るために、賢いふりをする。
その拠となる論理そのものが間違っていることから目を逸らして、間違った論理のを基に考える。
自分はこんなにもきちんと考えていますよ、と、他ならぬ自分に向かって言い訳がましくパフォーマンスする。


 例えば、自分に言いたいこと/意見/主義主張/感想───主に自分の好きなものについての話について───があるとする。
だけど色々と“考え”て、あるいは自分を欺いて、それを他人に向けて表明しないことを選択する。表明したことを最後まで貫ける/反対してくる他人の論理に抗い続けられるような自信がないから、防衛機制が予備的に働く。予備的な防衛機制が、私の口を閉じさせて、出掛かった言葉を飲み込ませる。
 それでも言いたい、という気持ちはなお心の中にあり続け、経験や知識からそれを言うことを抑止する機制との間でコンフリクトを引き起こす。それは形容しがたいモヤモヤになって、心の中の、決して小さいとは言えない領域を占領する。
“機制側の言い分に従って我慢している自分”を美化して、正当化する。自分は“考え”抜いた結果として自重しているのだ、と、自分に向けて言い訳をする。本当は欲求側の言い分を聞いて損害を被ることが怖いから、という臆病なだけの理由を、いい子でいたい/いい子でいなかった場合に生じる諸問題に対して責任をとりたくないから、という理由で覆い隠す。


 だから、だからこそ私は、自分がしたかったこと、だけど機制側の言い分に従って我慢したこと、それらを、何の躊躇いもなくやってのけてしまう───そして利益を享受している───人を尊敬すると共に妬ましく思ってしまう。
私は“考え”抜いて、その利益を得ることを諦めたのに、いとも簡単にその利益をかっさらっていってしまうその人の手腕に憧れると共に、やはり嫉妬してしまうのだ。幼子のようだ。
私だってやりたかったのに。やりたかったのを我慢していたのに。

 そしていい子のテクスチャに隠れた臆病者が、私の心の中でこう叫ぶのだ、「ずるい」と。

 自分に勇気がない/不器用なだけなのに、誰からも我慢を強いられていないのに、勝手に我慢して、勝手に悔しがる。
その繰り返しによるモヤモヤはどんどん心の中で澱として積もっていき、ある一定量を超すと爆発する。自分でも悪いと分かっている行動を、分かっているのに実行する。モヤモヤを解消するために行われる。
そして当然の帰結として、利益を得ることはなく、損害のみを被る。その繰り返しだ。
流石に、私もそんな自分を愚かだと思う。だけど私のこの性分は脳の随まで染み着いていて、ちょっとやそっとじゃ治らない。
この愚かさは多分、死ぬまで治らないだろう。死ななきゃ治らないのだろう。


 だから、ということもある。
自分は言い訳しかしていない。
自分のする/しようとしている行為に自信が持てないから、言葉で言い繕って/言い訳を積み重ねて、自分を追い込んでいくのだ。そこまでしないと死ぬことすら出来ない臆病な自分をアシストするのだ。