生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

もはや、生きるか?死ぬか?を考える段階はとうに過ぎた

 もう、“殺す”か“死ぬ”か、の二択しかなくなった。そして私は、前者を選ぶくらいならば後者を選びたいと思っている、というだけの話。


 もう、私には落ち着ける場所が確保されていない。気を遣わなくていい場所なんて、地球上のどこにもない。
私にとって家は、世界で一番気を遣わなければならない場所だ。私の他に住んでいるもうひとりの存在こそが問題で、そいつは、誇張なしに私の希死念慮の8割───あるいはそれ以上の原因になっている。動く/音を立てる/臭う…、(私にとっての)希死念慮の塊が、家の居住スペースの7割を占領している。

 そいつ───つまり私の父親───のことを可哀想な人間だ、と思わなくもない。
彼は(特に大海について)無知・無理解であるが故に/誰からも承認されなかったが故に、自身の自尊心を保つためにそうならざるを得なかったのだろうから。
 彼は自分より立場の弱い人間を抑圧し、嘲笑し、支配することでようやく自尊心を保っている。多分、そうでもしない限り、彼の自我は崩壊するのだろう。私が馬鹿で無知で1人じゃ何も出来ない(その全てについて、私は否定できる立場にないけれど)と信じ、同時にそれを私にも言い聞かせ、思いこませることによって、彼の精神衛生はとても“clean”な状態に保たれている。彼はそうやって
「自分が少なくともカーストの最底辺ではないこも」を確認して、自分を安心させる。
 我は私に向かってよくこう言う(私の記憶が正しければ、自身の妻にも同じことを言っていた)。
「誰のおかげで生きていけていると思っているんだ」と。だから自分の言うことには反論せず無条件に従え、とでも言いたげに。
今ならば、家を出て行って他に男を作った母親の気持ちが分からなくもない(その行いを擁護する気は一切無いが)。私だって、この家から逃げ出してもなお生きていけるだけの資産(有形・無形問わず)が今の自分にありさえすれば、とっくの昔に逃げている。
 だけどやっぱり悲しいことに、今の私には何の資産もない。
感情に任せて逃げ出したところで、七色いんこアメリカの路上で死にかけたように、私もまたどこかの路上で死にかけて、私はいんこと違って誰にも拾われずにそのまま野垂れ死ぬんだろう、と予想が付く。

 私がこれから生きるためにはまず、家/父親から逃げなければならない。だけど彼は、自分よりも弱い立場にある/自分が気兼ねなくマウントをとることの出来る、地球上でただひとりの人間をそう易々と手放そうとはしないだろう。
だから、私は生きるためには逃げねばならず、逃げるためには殺さねばならない。だけど私は優しくないから、自分が罪を背負ってまで彼を殺してあげる気なんて毛頭無い。
「死にたい」と、同じく家にいる私に聞こえるような(わざわざ聞かせようとしているのかもしれないが)音量で独り言をブツブツと唱える、彼の望みを簡単に叶えて差し上げるほど、私は彼のことを好いていない。
死ぬなら自分で、しかも私を産む前に勝手に死んでほしかった。

 ならばもう、私には“死ぬ”という選択肢しか残されていないのだろう。逃げられないから死ぬ。このまま生きていくのには限界があるから、死ぬ。


 人は生きるために食べるのだろう。
私は最近まで、異常なくらいに食べない時期があった。
ろくに運動も出来ない、走ろうとするだけで必ずと言っていいほど転んだり足を捻ったりする、そんな身体で“昔自分がされていたように、親をはじめとする他人から、容姿について罵倒されないため”には、「食べない」という選択肢しかなかった。
意識して食べないでいたら、その内食べ物のにおいだけでも吐き気がするようになって、食べることが怖くなった。あの時期の自分は、生きるために食べるくらいなら死んだ方がマシ、と思うくらいに拒食症を拗らせていた。
体重は中学生の頃よりも減り、久々に会った知り合いには健康状態を心配された。体力もなくなった。

 だけどその後、ある日を境に、もういいや、と思うようになった。それからはもう、空腹か否かを問わず、ただ快楽を得るためだけに自棄になって食べるようになった。少ない貯金を切り崩して、ひたすら食べ続けている。
当然体重は増えた。でも体力が戻った訳ではない。生きるために食べている、という訳でもない。
私はただ、一貫して希死念慮に従って動いているだけだ。
 食べるために、貯金を切り崩していく。収入は1銭もない。ただ残高が減っていくのを眺めるだけ。
ふと、昔私の自殺を止めた知人から
「まだ貯金は残ってるんでしょ?とりあえず、貯金がある限りは生きようよ」と言われたことを思い出した。そう、今の私は死ぬために貯金を減らしている。死ぬこと以外には何も出来なくなるたに、消費財・残らないものにお金を使っている。
 昔の、親をはじめとする他人から容姿について罵倒を受けていた記憶、コンプレックスを割られるトラウマ、それらを私はまだ覚えている。太ると罵倒されることも、自分が自分のことを今以上に嫌いになることも、経験から学んで知っている。
だから食べる。今以上に自分が嫌いな自分になるために、体重計に乗る度に増えるその値に震えながら、食べ続ける。


 きっと私は今、全ての知り合いを納得させられるだけの/何でそんなことで?もったいないよ、生きようよ、と止める気すら湧かさせないだけの、「死ぬ理由・言い訳」作りに励んでいるのだと思う。自分自身の希死念慮に対して、生き続けることはメリットよりデメリットの方が大きいのだ、と、後押しをするために、もっともらしい理由を構築しているのだ。
 他ならぬ自分ですら“死を選んだ自分”を責められないくらいに、自分をどんどん惨めに飾り付けていっている最中なのだ。