生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

雑音に邪魔されないように、万年筆がカリカリと紙を擦る音のみを拾う努力をしながら

 将来について考えている。その当事“筆”が描き出す文様は私の将来にも関わることだからだ。

 

 

 来年度から、ようやく親から逃げ出す算段が立った。それと同時に、将来、私が自分ひとりで生きていく姿が以前よりもくっきりと見えるようになった。

 きっと私は、このまま行くと孤独死するのだろうと思う。

その未来は結構簡単に想像がつく。何故ならば、私はそういう結果を招くような生き方をしてきた上、これから先も同様の生き方しか出来ないように思えるからだ。

 私は人付き合い───特に金銭の伴わない、友人関係というもの───が苦手で、何かをしくじる度に逃げ出してきた人間だ。失敗する度に友人に嫌われたと思い、顔を向けられなくなって、ずっと逃げ続けてきた。

 どうやら私は“普通”の人と思考回路が違うらしく、会話についていくのがやっとで、その違いのために関係が修復できないほどに壊れてしまった事がある。それも1度きりではなく、何度も。

私は、相手のことを好けば好くほど、リミッターが壊れて歯止めが利かなくなる。そのせいで、私は好きだった/今なお好いている友人たちに声をかけることすら出来なくなっている。

(相手は私と関わって楽しいのだろうか)とか

(また失敗して相手を不快にさせたらどうしよう)とか、そんな思考が私から好きな人たちへ声をかけることを思いとどまらせる。

 私は世間一般の“普通”が分からないから、意図せず“普通”とズレた行動をしてしまった/やらかしたことに気が付いた時にすぐ

(あぁ、私は相手を不快にさせてしまった)

(嫌われた)と思っている。

今日見たNHKの番組で、出演者が

「(いくつかの例を出しつつ)そんなことで人は他人を嫌わない」と言っているのを聞いたけど、私にはそうは思えない。すぐに

(あ、今ので嫌われたな)

(これ以上相手を不快にさせないように、どんなに自分が相手を好いていたとしても関係を絶とう)と思う。

“やらかした”、“相手を不快にさせた”ということが引け目になる。その後も関わり続ける際に、引け目を感じながら関わることになる。せっかく頑張って詰めた相手との距離が、その引け目の分だけ開いてしまうように感じる。

 一方、友情の伴わない、ビジネス上のコミュニケーションは気が楽だ。お互いに、お互いを好きか嫌いかなんて一切関係なく、ただ利益を得るために動けるからだ。

 

 それでも、私は友情の伴う関係性を持続させることに対して憧れを抱いてしまう。

孤独は好きだけど、空虚で好きになれない類の孤独を癒してくれるのは、やはり友人しかいないのだろうと考える。

 

 その上で、紙を擦る万年筆の音に耳を傾けながら将来について考えると、今後も継続して私と関わってくれる友人なんてただのひとりもいないのではないか、と思えて、孤独に人生を歩み、終えていく未来しか見えなくなるのだ。

 

 私は、同年齢の人が集うコミュニティに属することでようやく安心できていた。でも、今の私にはそんな場所はどこにもない。そして、今後そのようなコミュニティに属せる気もしない。

 

 (孤独なんて別に怖くも何ともない)

(何なら過敏な聴覚を刺激してくる喧噪よりかは孤独でも静かに過ごせた方がいい)

と思って/言い聞かせて生きてきたけど、誰とも関わらない現状と、現状から予想される未来に目を向けた途端に、その状態で生き続ける苦痛が容易に想像できてしまって、両瞼の痙攣する頻度がやや高くなった。