生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

抱負を掲げておく

 2019年の抱負は

「人を過大評価しない」

「身の程を弁える」の二本立てでいきます。

エクストラとして

「今考えてる話をきちんと書ききる」があるけど、それは前のか2つがきちんと出来ていることを前提として。

 

 ようやくBGMに呪詛が流れる空間から逃げ出せるから、心機一転頑張りたい。多分、今以上に人間と関わらなくなるだろう。

親から離れるのはもちろんのこと、数少ない友達もほとんど社会に出て行くから、声の出し方が今以上に分からなくなりそうだ。

 

 

 年末年始に帰省して、自分の祖母を観察していたら、自分自身の性格のルーツが分かって嫌気が差してしまったのだ。老化が進ん できたからか、祖母の悪いところが以前にもまして表面化していた。

 私が言うのも(本当に)何だけど、彼女は忘れっぽくなって、怒りっぽくなった。だけどそれは老化の影響だと思う。以前はそんな人では無かったから。

だけど、

“以前からあった”けど

“最近になって、老化によって隠しきれなくなった部分”というものもある。鏡に映る自分を見ているようで、心苦しくなるほどの部分が。

 彼女は(私と同様に)自分の無知や無力さから目を逸らしながら他を批判する───と言いつつ、この文章自体がメタ構造になっているのは皮肉な話であるが。

近所付き合いから得た能力なのだろうか。

“悪口による共感”や

“そうやって他人を見下すことによる選民意識”が顕著に現れ続けている。

 私自身、年末年始に帰省しない限りはバラエティを地上波で観ることが無くなったのだけれど、祖母は、暇さえあれば地上波でバラエティを観ている。そうして他人の失敗を嘲笑い/こちらにも同じ態度をとるように求め、見当違いの批判をテレビ画面に吐きかけては、夫や子に諌められる。

その後一瞬だけでもシュンとするのはいいのだが、プライドが許さないのか(まぁその気持ちは分からなくもなくて、そのことすら私の自己嫌悪の要因になるが)、直前まで表明していた意見/立場を瞬時に無かったことにして、あたかも以前から修正後の意見であったかのように振る舞う。

 その一連の流れを無言で眺めていると、そういう“自分の無さ”を身内ながら恥ずかしく思うと共に、それが他ならぬこの私にも備わっている自覚が心の隅っこにあって、

「お願いだからそれ以上、祖母/私の醜態を世間に晒さないでくれ」と叫びたくなる。

それが“遺伝子に刻まれた短所であること”を突きつけられて、嫌になる。

私はそれを治せないまま、祖母と同じ歳になり、周りに気を遣われながら醜態を晒し続ける羽目になるのだろうか、と、悲しくなる。

 だから、「身の程を弁える」のだ。自分は他の何かに対して偉そうなことを言える立場にないこと/言う資格なんてないことを自覚しながら、自戒しながら、過ごすのだ。

 

 父母以前の先祖の短所を目にする度に、その短所が脈々と───少なくとも祖父母-父母間において───受け継がれていることを認識させられ、逃れられない呪縛の中にまた自分自身も在るのだと分かり、この負の遺伝子の連鎖を自分で断ち切りたいと願う。

 

 

 だから私は、もう幸せを願うことはなくなった。願いたくなっても、意識してその願望から目を背けるようになった。

土台無理な話だもの。そういう、“幸せにはなれない遺伝子構造”になっているのだもの。

 

 真面目に生きてさえいれば誰かが救ってくれる、だなんて甘い考えは捨てよう。

 身の程を弁えよう。そして、出来たら死のう。

 

 それが、私の2019年の抱負です。