生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

ああ、ああ……

 「発達障害は空気が読めない」という文言を目にした。

 

 ああそうか、やっぱりな、と、思い当たる節がある。だから私はいつもいつも空気が読めなくて、いつもいつも失敗して、いつもいつも嫌いですらない、“興味ない奴”にカテゴライズされるんだ。

 

 あああ、ああ、なんてこの世界は生きづらく、健常者の姿は眩しいのだろう。

 あああ、ああ、ああ、声を上げて泣いてしまいたくなりそうだ。だけどそんなことをしたら同居人に脅されるから駄目だ、それだけは駄目だ。

 

 空気を読もうとする度に、“空気が読めない”になる人間の惨めさが分かるか。

だから私は全てが明文化された小説に依り、

決まった処理をすればいい数字に依り、

空気の読み合いバトルになる、リアルな人間とのコミュニケーションを極力避けてきた。

 

 あああ、私だって空気が読みたかった。望んで場の空気を乱している訳じゃないんだ。空気を読もうとした努力が、全て裏目に出て来るだけなんだ。

 「空気が読めない」と知られたくなくて、失望されたくなくて、自分から遊びに誘うことすら出来なくなった。“遊びに誘うという行為”は、知り合いとの間の“無”から会話を切り出す勇気がないと出来ない。空気を読まねばならない。だから私は誘えない。断られるのが怖くて、「空気が読めない」と言われるのが怖くて、誘えない。

 

 どうしてこんな人間になってしまったのだろう。

どうしてこんな人間が、このブログを読んでくれていたような、素敵な友人たちや師匠と関わることが出来てしまったのだろう。

彼(女)らと師匠の存在なんて、知らないまま生きていきたかった。そうすれば、彼(女)らと師匠みたいな、素敵な人々と友人でいられる、なんて淡い幻想を抱かなくて済んだはずなんだ。

 

 ああ、ああ、ああ。涙が止まらない。頭が痛い。小さくなって、誰にも迷惑をかけないようにして、死んでしまいたい。

 

 

 こんなに胸が苦しくなるくらいだったら、あんなに素敵な人たちと出会わなければ良かった。